8月末に渡航してから早いもので四ヶ月が経過し、2024年も終わろうとしております。春節を正式な正月とする中国では西暦上の新年を祝うムードは無く、先週のクリスマスも日本に比べると考えられない程盛り上がらなかったので、本当に新年を迎えるのが信じられないというのが現在の心境です。先週から始まった期末試験の為に図書館は連日満席で、日本語専攻の中国人達からは連日WeChatで質問が寄せられてきています。
今回は、この四か月間の生活で感じた留学の前後のイメージの違いを書かせていただきたいと思います。
最も大きな感覚のギャップは、デジタル技術の発展に人々の感覚が追い付いていないという事ではないでしょうか。渡航前の私は、中国は今や世界でも一二を争うデジタル大国であり、生活は全て電子で管理されているというイメージを抱いていました。デジタル化の水準に関しては渡航後の生活においても疑いの余地はなく、贔屓目なしに現在の中国は高度に発達したデジタル社会であると感じます。
一方で、それを扱う人々には未だにアナログ的な感覚が根付いているように感じます。例えば、他の方のレポートにもしばしば登場しているタオバオですが、キャンパスに到着した商品は学校内の集配所に集められ番号順に棚に並べられます。各自がその番号を頼りに自分の商品を探し取っていくスタイルですが、他人の商品を持ち出そうと思えばいくらでもできてしまう状態です。また、地下鉄では全ての駅の入り口に金属探知機が設置されていますが、検査は完全に形骸化しており警報が鳴っても職員は誰も気に留めません。このように、優れた集中管理システムを整備しておりながらも扱う側の人間が性善説に頼るような(あるいは無関心であるような)矛盾をしばしば目にします。思うにこれは、この十年間の中国の経済成長・デジタル革命があまりに驚異的な速度であった為に市民の感覚が置いて行かれ、新しい生活様式との間に大きな乖離が産まれているのではないでしょうか。以前のレポートでも書いた、職員によって言う事が全く異なるという点にも通じると思います。高度に管理された枠組に適応する以上に、人間の持つアンバランスな一面に適応していく事こそ、留学の醍醐味と言えるかもしれません。