青島はここ数日、冷たい風が吹き荒れる日々が続いている。そんな12月のレポートは、最近になって改めて感じた言語の奥深さについて記していきたい。
言語は自分を投影する
言語を勉強する過程で、直近に習った文法や単語を会話中に応用してみたり、同じ表現を多用しないように心がけるようになった。すると自分が話す言語の癖のようなものに敏感になると同時に、他人の癖にも敏感になった。例えば、中国人の友人との会話の最中、その友人が「幸好」という表現を頻繁に使っていることに気がついた。予定が押してしまい次の目的地に行けなくなってしまった時、彼女は「幸好可以明天再去」「幸好我们已经去了最想去的地方」など、ネガティブな事象をいつも前向きに捉え、そしてそれを言葉で伝えてくれた。
以前、「语言影响思维」という言葉を耳にしたことがある。言語がその国の人々の思考に密接に影響を与えているという考え方だ。うまく説明できないが、中国人と話していると日本語にはない中国語特有の言い回しや表現があり、「これらの表現が存在するからこそ、彼らの思考はこう発展していくのか」と妙に納得することがよくある。もちろん、中国人も私たち日本人に対して同じようなことを思っているかもしれない。だが一方で、前述した友人の口癖を聞いていると、一人一人の性格や個性が、その人の言葉を紡ぎ出してもいるのだと深く実感する。私も中国語を話す時、意思疎通のツールとして利用するだけではなく、もっと言葉に自分の個性を染み込ませたいと思った。
中日翻訳の痛快さ
最近、映像字幕翻訳のオンライン授業を受講し始めた。映像字幕は1秒間に表示できる文字数が決まっているので、翻訳の過程でどうしても意訳にせざるを得なかったり、セリフの一部分を削らなければいけないことがある。中国語はたった数文字にいくつもの意味を含ませることができるが、その便利さゆえに、日本語に直訳すると1.5〜2倍に文字数が膨らんでしまう。どのような訳が最もふさわしいか、正解がない中で導き出す作業が楽しい。また普段中国語を勉強している時、「もっとネイティブに近づくためにはどんな表現が良いだろう」とか、たくさんある同義語の中で「自分の言いたいことを伝えるにはどの単語を使うのが一番ふさわしいだろう」とよく考えるのだが、翻訳作業の際にこの思考力が非常に役立っている感覚がある。異なる点と点が線になって発展の兆しを見せていて、とても嬉しくなった。
青島での4ヶ月を振り返って
11月に参加した费那奇动画周で知り合った友人が、クリスマスに青島まで会いに来てくれた。初めて中国のスパ施設に行き、フルーツ食べ放題やプールも楽しんで、さらに深夜料金(45元)を払って施設内で一夜を明かした。その他にも、まだ訪れたことがなかった李村夜市やクリスマスマーケットにも行き、最終日には体調を崩してしまった友人の付き添いで中国の救急外来にも足を踏み入れた。知った気になっていただけで、まだまだ知らない青島、そして中国をたくさん味わうことができた。
先日、急に思い立って家族や友人に年賀状を送ることにした。書いているとなんだか清々しい気分になった。1月中旬には中国を離れるが、2025年もきっとこの留学で培った経験や思い出が私を正しい道に導いてくれることだろうと思う。
クリスマスのあれこれ