「阿姨に生かされて(後編)」齋藤あおい(華東理工大学)

食堂阿姨

量り売りタイプの食堂に通っていたとき、支払い後、私の弁当箱にそっとご飯を足してくれる阿姨がいた。

偶然かなと思ったら、ある時また、おかずを覆うようにどさっとご飯がつがれた。

 

私に、ご飯を余分にくれているひとがいる。誰が、なぜ。とても気になった。

しかし食堂で働く阿姨たちはみんな帽子とマスクをしていて目元しか見えない。

さらに食堂に通ううち、私を見ると目を細めて笑ってくれる阿姨のときだけはご飯が追加されることに気付いた。

 

なぜ、ご飯を注ぎ足してくれるのか。米が足りなそうと思われているのか。

懐事情が寂しかったので正直助かってはいたが、阿姨はそんな私の事情を知るはずもない。

食堂はいつも学生がいっぱいいて忙しそうなため、宿舎阿姨のように直接話せるチャンスもなかった。

 

あなたのご厚意は伝わっていますよという思いをこめて、お会計のとき先に目を合わせて「你好」とか「谢谢」と言うようにした。阿姨も笑顔を返してくれた。

 

帰国直前になると夏休みに入り、食堂に来る人もだいぶ減っていた。

阿姨に声をかける余裕が生まれたので、これまでの感謝と、もうすぐ帰国する旨を伝えた。

ほかの阿姨もぞろぞろとやってきて「あんた日本人だったの」と言われた。

私が話したかった阿姨は口数が多いタイプではなかったので、お互いのスマホで写真を撮って終わった。

なぜ、ご飯をサービスしてくれたのか。それは阿姨のみぞ知るところである。

 

ご飯がおかずの上にのったランチボックス

 

最後に2人の阿姨にお花をプレゼントした

 

阿姨に生かされて

私はやさしい阿姨に支えられながら留学生活を過ごした。彼女たちに共通していたのは、熱いまなざしである。

血が繋がっているわけでもないのに、顔を見せれば慈しんでもらえた。

もう私もけっこういい年なのに、こんなふうに大事にしてもらっていいのかなあ。思い出すたび目頭が熱くなってしまう。

 

こんな阿姨たちを知っているからこそ、身を呈して日本人親子を守ってくれた胡友平さんがどんな人柄であったのかが想像できるのである。

きっと日頃から子どもを慈しんで、声をかけてくれていたのではないか。あの熱いまなざしで。

 

大すきな阿姨たちと、胡友平さんのことを一生忘れない。