「上善は水の若し」 木村水映(北京外国語大学)

中国留学の出発が迫る中、東京電力福島第一原発の処理水放出をめぐって、中国にある日本の関係機関に嫌がらせが相次ぎ、外務省からは現地渡航予定者への厳重注意が呼びかけられるという不穏な情勢である。大学の先生や友人、所属するサークルの先輩や仲間からは、出発に向けて励ましと同時に、心配の声を多く頂いた。なぜ中国なのか、なぜいま留学するのか。出発を目前にして、改めて自らに問い直すこととなった。

中国語を学びたいという思いは、高校生の頃に読んだ「漢文」による影響が大きい。授業を通し、『詩経』の詩や、杜甫・李白の詩、唐代の伝奇小説などに触れる中で、遥か昔から人間は生きていて、自分はその歴史の中の一人なのだと感じさせてくれることに魅力を感じた。何百年何千年前の外国の文学作品を原文のまま読むことができ、当時の人々の精神的営みの一端に触れることができるのは、中国文学だからこそ出来ることだ。

正確な中国文献の読解を行うためには訓読法では十分ではなく、中国語を基礎から学び、中国語の音、しかもその作品がつくられた時代の音を探りながら、かつての日本人のように作品を味わってみたいと、大学で中国語を専攻することに決めた。

中国語を学び始めて一年半。習ったばかりのフレーズを、大学で出会った中国人留学生の友人に話しかけてみる。意思の疎通が図られたとき、その喜びは何者にも代えがたい。中国語を話す多くの友人と関わる中で、友の生まれ育った中国とはどんな国で、その歴史や文化はどのようなものなのか、自分自身の目や耳で確かめたいと願うようになった。中国に対する何かしらの偏った考えは、身近な人たちの中から聞かれることも少なくない。しかし、だからこそ自分が中国という国を体感し、自分の見た中国の人々や社会の生の姿を多くの人に伝える使命が、私にはあるように思う。 今回の処理水についての現地の様子も、メディアによるものではなく、自分の周囲の人たちの本音を聞き出すことができればと考えている。

大学の友人やサークルの仲間、中学高校でお世話になった先生などに頂いた激励のお手紙

北京外国語大学新入生への手紙と地図

『老子』に「上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る、故に道に幾し。」という言葉がある。私の「水映」という名前は、これに由来するものだ。老子は、「水は、あらゆるものに恵みを与えながら、争うことがなく、誰もが厭だと思う低いところに落ち着く。だから道に近い」と説いた。水は、変幻自在で柔らかく、しなやかであるからこそ、最も大きな力を潜めている。私は、自分の名前に支えられながら、国境の隔たりを諸共せず人と人との間を染み渡る、「水のような人」でありたいと改めて決意する。自分の名前にちなんで、「水」をテーマにこのレポートを書き綴っていきたいと計画している。

老子について書かれた大好きな本たち

老子