留学も終盤に差し掛かったころ、恐ろしい事件が起きた。蘇州市で日本人学校のスクールバスが刃物を持った男に襲われ、日本人親子が怪我を負った。その凶行に立ち向かったガイドの中国人女性・胡友平さんが亡くなった。
ニュース速報を受け取ったときは、意識不明の重体と報道されていた。しかし翌日に亡くなったことを知った。生きていてほしかった。
いわゆるバス阿姨とよばれるお仕事をしていた胡さん。お会いしたことはないのだが、どんな面差しのひとだったのかを想像することができた。私の留学生活は、心優しい阿姨に支えられることで成り立っていたと言っても過言ではないからである。
宿舎阿姨
私は大学の中にある留学生寮に住んでいた。
フロントの阿姨さんはとてもフレンドリーな方で、いつも私にも分かるようゆっくり中国語を話してくれた。
中国にいたことがある方は、教科書で習う「请慢说一点(もっとゆっくり話してください)」が現地でまったく聞いてもらえないことをよく知っていると思うが、彼女は留学生たちと話すときは速度を落としてくれた。
私の留学の後半は、生活費の振込が不定期になってしまい、じり貧になることがあった。
『パッキパキ北京(綿矢りさ 2023)』に、中国のダウンコートは暖かいとあったので買うつもりだったのだが、そのお金もなく、昨年の冬は春物のコートで寒さをしのいでいた。
阿姨はそんな私を見るたび「寒そう」と顔をしかめた。
年末に日本に帰ったら色々持ってくるよと伝えていたのだが、帰国を待たずして、私はなんと手編みのマフラーをプレゼントしてもらったのである。
雷に打たれたようだった。手編みの何かをもらうのは、子どもの頃以来のことであった。
しかも、売り物よりおしゃれだったのである。
先端がひし形のデザインのマフラーは、もはやプロによる仕上がりであった。
阿姨はかつて、専門学校で縫物や編み物を勉強していたことを知った。
こんなすごいものをもらっていいのかな。時間と労力をかけてもらったものを……。
心配する私をよそに、阿姨は「你喜欢就好!(気に入ったならそれでいい)」と、にかっと笑った。
お返しをしようとすると心底嫌そうな顔をした。
フロントで編み棒をちゃきちゃきと動かす阿姨の姿を見ると落ち着いた。もう見られないのがほんとうに寂しい。
→8月のレポートに続く