「新たなステージ」木村水映(北京外国語大学)

北京外国語大学合唱団に参加したことは、本留学における最大の挑戦、かつ日中友好の輪を広げる最良の機会であった。

 

参加のきっかけは、合唱団に参加する中国人の友人の勧めを受けたこと。オーディションを通過しなければ所属できないということと、165人のメンバーに外国人は1人もいないという現状を併せて耳にし、一瞬も躊躇わなかったと言えば嘘になる。ただ、新たな環境で多くの友人に囲まれながら楽しそうに歌う自分自身を想像すると、不安や緊張は、いつしかどこかへ吹き飛んでいた。不安以上に、チャンスを掴んだ先に見える景色への「期待」の方が何百倍にも膨れ上がっていたのである。気が付いた頃には、胸を高鳴らせ、満面の笑みを浮かべながら、軽やかな足取りでオーディション会場へと向かう私がいた。

 

165人中日本人1人での挑戦

 

 

「外国人にも関わらず、中国人のみの面接にも緊張した様子を一切見せず、綺麗な中国語でスラスラと話し出す木村ちゃんに一同とても驚いた。」「中国語を熱心に学び、終始笑顔で楽しそうに話す日本人の存在そのものに心が熱くなった。」「オーディションを、そして、歌うことを心の底から楽しむ姿が一日中脳裏から離れなかった。」

 

入団後、団長や各パートのリーダーがその日の私に抱いた印象を聞かせてくれた。準備を重ねてきた自分自身を誰よりも信じ、プレッシャーや緊張を集中力に換え、本番を思い切り楽しめるところに私の強みがあるのかもしれない。

 

夢のようなひととき

 

 

いざ練習が始まると、オーディション当時の心踊る気持ちとは裏腹に、指導の際に用いられる専門用語を聞き取ることができず、挫折してしまいそうになることも多々あった。しかし、隣の席で歌う団員に聞き取れなかった単語の意味をこっそり聞いてみたり、練習が終わる度に、理解できなかった単語を団長に質問したりしたことで、聞き取れる単語も徐々に増えていった。

 

指導のあった箇所や聞き取れなかった単語は逃さずメモメモ!

 

加入して2か月程が経つと、練習を楽しむ余裕が出てくるようになった。外部講師の指導で消化しきれなかった細かな表現を、パートリーダーや団員の皆が、練習前や授業の合間を縫って一緒になって確認してくれたおかげもあり、最終的には指導内容の90%程をその場で理解できるようになった。会話におけるリスニングスキルと表現力は、合唱団の友人らとのやり取りの中で格段に向上したという実感がある。

 


歌詞を理解できるようになったことで、別れを惜しむ曲の切なさもストレートに入ってくるように。友との別れを歌った最後の2曲は涙を堪えきることができなかった。

 

 

演奏会まで残すところあと1か月余りとなった頃、中国語、英語、ラテン語、そしてズールー語などの楽曲合計14曲を完璧に暗譜しなければならないと知らされた際には、流石に心が折れかけた。

 

ハードルの高さを感じていたのは、私だけではなかった。暗譜すべき曲目の中には日本語の楽曲も含まれており、日本人の私から見ても、中国人の団員が暗譜をするのは大変な困難を伴う課題であった。しかし、そのような慣れない外国語に対しても、細かな発音まで手を抜くことなく逐一私に確認しながら、懸命に暗譜に励む友人たちの姿を目の当たりにしたことで、私も自らを奮い立たせることができた。起床後と就寝前は必ず全曲の音源を聴き、暇さえあれば友人と励まし合いながら復習に勤しんだことで、暗譜試験も満足のいく結果で通過することができた。

 

日本語の曲も

 

パートリーダーに背中を押され、団内のオーディションにも参加し、年に1回の定期演奏会でソロの1人を務めたのも良い思い出だ。本番では、歌い始める前に中国語で自己紹介をしなければならず、ソロの部分よりも自己紹介に緊張した覚えすらある。本番前には、友人たちが緊張を和らげようと、直前までそばで自己紹介の練習に付き合ってくれた。友人らの支えのおかげもあって、自己紹介は無事成功し、客席から大きな歓声を受けることができた。学外からも多くの中国人の方々がチケットを取って観に来て下さっていたため、中には日本人を良く思わない方もいるのではないかと、日本人だと明言することに密かに不安を抱えていたが、温かく迎え入れてもらえたことに大変感激した。

 

 

ホールには客席から溢れるほどのゲストが

 

「木村ちゃんは、私にとって初めての日本人の友だちで、特別な意味がある。」「水映ちゃんに出会ってから、日本に対してどことなく感じていた距離がグッと縮まった。日本人に対する印象が大きく変わった。」「日本を単なる他国の一つとして認識していたのが、水映という一人の友人の故郷として捉えられるようになった。」

 

合唱団で出会った友人たちの言葉である。

 

たった一人。されど一人。中国語を愛し、心から楽しんで中国語を学ぶ日本人の存在を広く認識してもらえた。そう実感できた瞬間、微力ながら日中友好の架け橋として新たなステージに立つことができたという達成感で胸がいっぱいになった。

 

お別れ会では、両手に収まりきらないほどの手紙とプレゼントを貰った。何度も目を通した手紙の数々は留学を終えた今も大切に宝物として保管している。