「私なりの日中友好活動」金子 絹和子(北京電影学院)

北影は国際交流が活発ではなく、総合大学や外国語大学ではないので言語や国際文化に興味のある中国人学生もほとんどいない。

留学中は友人に毎週末日本語を教えたり言語パートナーとの交流、映画祭の日本週間でのボランティアなどにも参加はしたが、私の周囲には日本に元々興味がある人が多かったため、彼らはもとから日本に対して友好的で、日本人以上に日本に詳しい人もおり、私がとりわけ何かを達成出来た訳ではない。

そのため、私が自ら日本について発信する機会はとても少なかった。

 

ただこれでは日中友好のために派遣事業を行なってくださっている協会の関係者の方々に顔向けができない。

そこで、日中友好活動と呼べるか定かではないが、留学期間中の出来事を2つ取り上げてみたいと思う。

 

北京に来てから半年は、人間関係の構築や生活に慣れることで手いっぱいだった。

自分の勉強方法や留学期間の過ごし方が正しいのかどうかも分からず全て模索状態だったが、冬休みが明ける頃には半年間の勉強の成果を少しずつ実感できるようになり、店員との会話や外で道を聞かれた際にも戸惑うことはなくなった。

欧米の留学生の友人と出かけてる時は周囲の目線をよく感じていたが、一人でいる時は外見でまず外国人だと思われることがほとんどないので街でバンバン声をかけられるし、店員も容赦なくすごいスピードで話かけてくる。

途中からこれはチャンスだと思い、外国人だとバレたら負けとルールを決め、ゲーム感覚で彼らと話すようになった。

中国人の友人が以前使っていた表現を真似して中国人を装って喋っていると、相手はこちらが外国人だなんて一ミリも疑わずに「話を聞いてくれるフランクな人」としてたくさん話してくれる。

外国人だということだけで相手が身構えてしまい一気に距離感が生まれることがあるが、中国人に化けて彼らと交流することで中国人の思想や価値観、中国そのものに対する理解が深まる気がした。

中国人に日本の文化を広めたり、彼らとの交友を深めることだけではなく、日本人である私が中国について深く理解することも一つの日中友好活動なのではと思った。

 

もう一つは、大好きな友人と家族がせっかく私がいるならと中国に会いに来てくれたことだ。

彼らは初めての中国で、正直中国に対してさほど興味はなさそうだったが、それなのに面倒なビザを取得し、仕事のスケジュールを調整して北京に来てくれた。

もし私が中国に留学をしていなければ、おそらく彼らは生涯中国に来ることはなかったし、来たとしても今はスマホ決済やインターネットの問題など外国人にとって中国渡航は難易度が高すぎる。

中国でたくさん楽しい思い出を作ってもらえて嬉しかったと共に、ガイドとして一緒に観光している時は「日本と中国の架け橋になれているのかも」と、少し達成感があった。