私にはある悩みがあった。研究のフィールドが上海だと言うと、
「北京に比べて面白みがない」
「味があったのは90年代まで」
「僕、上海きらいなんですよねー(笑)」
このような怒涛のディスをくらうのである。最初は、上海嫌われすぎだろと、けらけら笑っていた。しかし上海住みが長くなって愛着がわくにつれ、だんだんと心を痛めるようになった。
たしかに、新しくつくられた経済の要所というのは、歴史を掘り下げる楽しみが相対的に少ないかもしれないが……上海だっておもしろいはずだ。私は上海の、世界中からいろんな人が集まってくるところがすきだし、街中にいい感じに紛れられるところにも居心地のよさを感じている。
でもそれは東京やほかの大都市でも一緒じゃないのと言われてしまいそうなので、あくまで上海らしさを楽しむ方向で考えてみたい。
Citywalkで上海を知る
Citywalk、それは定義がいまひとつ分からないまま流行している街歩きである。歴史あるストリートを歩いて、写真を撮ることが肝要である(たぶん)。
さすがは上海というべきか、日本人向けにガイド付きでCitywalkをするイベントがあった。街歩きコースは小红书にも載っているが、慣れないうちは中国語を読むのにも骨が折れる。そしてガイドがあると、写真を撮って終わりになってしまいそうな街並みにも足を止めて、建築物とそれにまつわる歴史について知るきっかけを作ってもらえる。
帰国前には虹口のコースを回った。
南京に留学する人が、センシティブな場所じゃないかと心配されるのを見たことがあるが、上海が戦場であったことは見落とされがちであるように思う。現在の上海の街にも、ふつうの住居のような顔をしていても戦争の記憶を宿した建物がある。前知識がないと見えにくいだけで、おしゃれなだけではない租界の歴史は残っている。
このCitywalkには計11回参加して、歩くほどに頭の中の上海の地図ができていく楽しさを味わえた。私には中国とのルーツがなく、研究のフィールドと繋がれていないということがずっと悩みであった。それは時間がかかるものであり、簡単に解消されるものではないが、間違いなく取っ掛かりとなってくれていると思う。
Citywalkは終わらない
このCitywalkを企画している日本人イラストレーターの方は、老房子……というよりはとにかく古い集合住宅に住んでいて、トイレや風呂は共用、他の住人である中国人の阿姨や叔叔と関係構築しながら生活をされていた。
上海在住の日本人の中で最もディープな居住空間にいるのではないかと思う。そんな上海生活の大先輩は、いつからか私の暮らし向きを聞くたび、「ローカルな子だねぇ」とうれしそうに目を細めるようになった。新鮮な誉め言葉である。すぐに癖になった。
私は必死こいて生きていただけだが、先達に面白がってもらえるとくすぐったい。やがて中国生活でちょっときついことがあっても、「これはローカルポイントが高いな」と自分で思っては前向きに受け止めるようになった。
留学中に日本人とつるむのは甘えというストイックな意見もあるようだが、大学にほとんど日本人がいなかった者からすれば、こういった縁は宝だなと思う。帰国してから、Citywalkを通じて出会った方から韓国旅行のお土産があると連絡をもらった。また会える前提になっているのがうれしかった。私は日本に戻ってしまってけれども、まだ周っていないコースもあるし、Citywalkはまだまだ続くと思っていてよいのかもしれない。