・日中交流の必殺仕事人
私が日本で在籍している大学には、中国との交流を一手に担う先生とスタッフさんがいる。その方々がいなければ路頭に迷うことになった子羊たちが、ぞろぞろといるので、日中交流の必殺仕事人と称して紹介したい。
私もコロナ禍で迷走する子羊の一人であった。厳格なロックダウン直後の上海留学で、現地で留学生を受け入れるかどうか情報が二転三転するなか、先方との連絡を何度も助けてもらった。大学のどの窓口に相談しても、最終的には同じスタッフさんにいきついた。
他にも私の観測するかぎりでは、中国留学の前日まで住む場所が決まっていなかった交換留学生の日本人を助けたり(何度聞いても笑ってしまう)、せっかく日本に来たのにゼミの先生に受け入れを断られ漂うばかりだった中国人留学生を見つけて招いたり(何度聞いても憤慨してしまう)、活躍は多岐に渡る。今回の引率も無論、そんな日中交流の必殺仕事人たちによって行われた。
自分も頼った側なので恐れ多いが、大学側はちょっと、先生とスタッフに頼りすぎじゃないかしら……と憂いている。先生は通常の授業やゼミも担当しているし、スタッフさんは中国関連の重めのトラブルにほぼ一人であたっている。
それはオーバーワークだし、日中交流への熱いハートが人質に取られているような気がするのだ。私も、留学生さんには良くしたいし、交流の機会があれば手伝いたいと思っている。このツアーでも、学部生さんと昼ご飯を食べたごく短い時間で、これからの留学にかける思いを聞いたり、かえるや臭豆腐への新鮮な反応を見られたりして、とても楽しかった。
先生たちも、コースを考えたり、ホテルやバスの手配をしたり、ビザ申請をしたりと、準備は本当に大変だっただろうけれど、皆のかわいさに救われる思いだったのではないか。
とはいえ、そういった尊い献身に、「そうですか。楽しいならば、じゃんじゃん助けてください♪」と乗っかられている感じがしなくもないのである。そして「あなたが助けないなら、誰も助けません」という半ば強迫めいた状況が長く続いてきたのではないか……。
辛い料理を食べ会話を楽しみつつ、頭の半分くらいはそういったことを考えていた。近い未来、自分もどこかで孤軍奮闘するはめになるのかもしれない。日中交流はみずみずしい喜びとシュールな驚きがあってこそで、押し付けるようなものではないのに。縁の下の力持ちに頼り切りにならずに、良い方へと変えていけないか。
時間はあっという間に過ぎ、お別れとなった。バスで浦東空港へと向かう皆の表情は、疲れよりも興奮が上回るといった様子で、頼もしく感じた。これは私調べであるが、一度でも中国で楽しさを感じられたひとはまた戻ってきてくれる。きっと皆、これからの大学、あるいはどこかの企業で、日中交流に新しい風を吹かせてくれることだろう。先生たちはその種をまいているのだと思う。多くは良い企業に入っていくのだろうけれど、私は強欲なので、野生のマンスリーレポート読者をはじめ、アカデミアでがんばる仲間になってくれないかな~!と強く期待する。