「中国人との交流②~インタビューこわい~」齋藤あおい(華東理工大学)

9月に始まった留学は、早くも折り返しに差し掛かっている。

私は重い腰を上げてやっとインタビュー調査を始めた。誤解なきよう言うと、私はインタビューが好きだ。語りの面白さ、鮮烈さは異常だ。学会やゼミの報告を聞いているとき、序盤の問題設定や先行研究のパートは眠たいのに、インタビュー紹介に入った途端に意識が引き戻されたということはないだろうか。私は語りを聞いているうちに報告者の関心どころが分かってくるということもよくある。誰かがこぼした物語は、断片的であってもひとの関心を惹き、想像力を羽ばたかせる力をもっている。語りはいつも燦然と輝いている。

私がインタビューを先延ばしにしていた理由の一つは、語りの魅力を損ねないよう扱う自信をなくしていたからであり、インタビューをする行為そのものを恐れていたからでもある。コロナの3年間ですっかりフィールドから離れてしまい、切れた縁も多くあった。そして中国語ネイティブではない自分が出産というプライベートなことを聞くことに、今さら緊張していた。学部や修士でも、もっと語学力の低いままフィールドに飛び込んで同じような調査をしていたくせに、知っていることが増えた今のほうが恐ろしく感じられたのだ。インタビューは、もう少し中国語が上達したら、もっと詳しくなってからと、いつまでも踏み切れずにいた。

ある日、転機が訪れた。私には上海でよく遊ぶ中国人の友人がいる。その子の彼氏が上海人だったので、お母様にインタビューしてみたいと考えていることを伝えた。

「でも急にこんなことお願いしたらご迷惑かな……ちょっとこわいなあ……○○ちゃんはどう思う?」

「え? 齋藤さんはつまりインタビューしたいんでしょう。もう阿姨から返事きたよ」

行動が早い。私が横でごにょごにょと言っているうちに、彼女はとっくにWechatで聞いてくれていたのだ。きちんと頼まずに相手をコントロールしようとする人みたいになってしまって申し訳なかった。

もらった返事を見たら、血の気が引いた。

「産後ケアのことはネットにも書いてある」

「私にわざわざ聞くことはありません」

ばっさり断られている……しかも気を悪くされているのでは?

「知識が必要なのではなく、一人一人の女性の人生や子どもへの思いを聞きたいのです」

そのように慌てて付け加えた。OKをもらえたときは心底ほっとした。恐れるあまりに後回しにしていたインタビューでも、本当にできると思ったら、やっぱりうれしかった。友人の手腕に感謝した。

後日、インタビューの約束が、「上海蟹を食べたことがない日本人を招く会」にまで発展していることを知った。な、なぜ。取り付く島もないように思えたところから、突然の「热情」に戸惑ってしまう。もしかしたら「わたしは特別な話はできませんよ」という、よくある謙遜だったのかもしれない(枕詞にそれがある語りはだいたい面白い)。そういった心の機微、どこで押してどこで引くといった駆け引きが、自分はまだ分かっていないのだなと思う。

同じ時期に上海で留学していた学部生の後輩も一人来ることになり、「中国語でインタビューしてるとこ見られるの楽しみです!」と屈託なく言うのでめまいがした。優秀な後輩に下手な中国語を聞かれるの、恥ずかしすぎる! しかし、そこまで追い込まれてようやく火が付いたのであった(「前期を振り返って」につづく)。

 

 

今年の春節は2月10日、赤い龍のグッズが沢山売られている

 

辰年の大白兎ラッピングカー。良いお年を