「中国人との交流①~宿舍阿姨と门卫叔叔~」齋藤あおい(華東理工大学)

「中国人との出会い方」というのは、良いテーマだなと思った。というのも、日本にいるときには思いもしないような形で交流が生まれることがあるからである。

1月分のレポートだけではとても書ききれないので、2月のレポートと、前期を振り返る記事とをまたいで、勝手にシリーズにしてお送りしたい。

 

呼称について

タイトルにしておいて言うのも何だが、私はあまり阿姨(おばさん)、叔叔(おじさん)といった、その人の見かけのジェンダーに基づいた呼称が好きではない。しかし中国にいるとその呼び方は街中に当たり前のように溢れている。よく知らない人が私を呼び止めるとき、「姑娘」「美女」等が使われる。私がどんな人かなんてわからないでしょうと不服に思いながらも、相手が助けを求めていたら呼びかけに応じる。

とはいえ私も昔は日本語で、○○姉さんとか、○○兄さんとか、そういう呼び方をしてしまっていた。傷つけた人もいたと思う。本当に後悔していて、もうやらないと心に決めているのに、中国でリバイバルさせられるときがあって、それがなかなか辛い。

先日のインタビューでは対象者から阿姨と呼ぶことを求められた。私はすぐにはそのように呼べなかった。だって目の前にいる人にはちゃんと名前があるのだから。その場には他にも何人かいたが、私が何に戸惑っているのか理解してもらえなかった。粘っているうちに、「阿姨」には、目上の女性への尊敬の念がこもってもいると聞き、姓を付けて〇阿姨と呼ばせてもらうことで、ギリギリ納得した。自分から阿姨といきなり呼ぶことは今後もないが、本人がそう呼ぶことを求められたら従う……かもしれない。

 

宿舍阿姨

私が阿姨と呼ぶひとに、寮でお世話になっている方がいる。寮のフロントにいる人や掃除のスタッフは基本的に不愛想で、そこが良いのだが、珍しくよく話しかけてくれる人がいた。これから上海は寒くなるよとか、今が上海の一番寒い時期だからこれからは温かくなっていくとか、中国語レベルが小学校中学年相当の私にとって、とてもちょうどよい難易度で会話をしてくれるのである。

その方は手先が器用で、たまに編み物をしていることがある。その手腕はとても見事で、凝った編み目のマフラーを何も見ずにさくさくと作ってしまう。私は自分が不器用なぶん、ものを作れるひとが好きなので、彼女がいるときはフロントに行って声をかける。フロントはだいたい2人体制なので、他の阿姨さんとも話す機会が増えた。

この阿姨さんとの大切な思い出のひとつは、手編みのマフラーをプレゼントしてもらったことだ。上海の冬の寒さをなめていた私は、ダウンコートを買わずに、日本から持ってきたGUの薄手のコートでどうにか乗り切ろうとしていた。それを見かねて、とてもかわいいマフラーをクリスマスに贈ってくれたのである。この贈り物は、日本に帰ってもずっと大事に使うし、もらった優しさを忘れることはないだろう。

 

 

宝物のマフラー

 

门卫叔叔

「门卫叔叔(校門の守衛室にいるおじさん)」との交流もある。私がやや高額の外卖(デリバリー)を盗まれてしまったとき、ショックのあまり叫んでいたら、店への連絡の仕方などを教えてくれた。それ以降、外卖を取りに顔を合わせるとおしゃべりする仲になった。今度大阪に行くのに何も食べる気がしないと言うので、お好み焼きを食べろと伝えた。

他には、奨学金が振り込まれず闲鱼(フリマアプリ)で物を売って急場をしのごうとしていた時期、毎日のように顺丰(宅配会社)の学内支店に通っていたので、そこの叔叔たちから顔を覚えられ、「今日は何を売るんだ」とからかわれている。

キャンパスの外に出なくとも、面白い出会いに溢れている。世間話がちょっとでもできると、その日の気分が一気に明るくなる。私はここを立ち去るのがすでに寂しくなってきている。

 

猫との出会いもある