インタビュー当日。お宅に招かれ、私、友人カップル、彼氏の方のお母様、お父様、大学の後輩、ペットのワンちゃんまで集った。一体何人の前で聞き取りすることになるのだろうか。お母様はそれで良いのか。一応確認したら「没关系!なんでも聞いて」とのことだった。頼もしい。
他のみんなはワンちゃんと楽しく遊んでいたが、オーディエンスが多いこと、私の知っているインタビューの形式と外れていたこともあって、私はがちがちに緊張していた。お父様が作ってくれた上海の家庭料理がテーブルに運ばれてくるたび、ああ早く終わらせないと……と焦った。友人はたまに私のインタビューに自然に入り込んで、聞きたいことを自由に質問した。収入のことなど、質問項目に入ってはいるけど聞きづらいことを聞いてくれたときは心の中で「ナイス!」と思った。それが良いアクセントになって、インタビューは1時間半近くかかった。
興味深い話を沢山聞かせてもらったが、何度も「喝点水(お水を飲みなさい)」と気を遣ってもらってしまった。対象者に緊張が伝わるインタビューなんて最悪~! と心の中で泣いていた。後輩が「すごかったです~」と言ってくれたのにも取り繕えず「どこが(泣)」と乱れた情緒のまま接してしまった。要点を掴み次の質問をしている感があったとのことだったが、そう見えていたならば及第点だろうか。わからない。中国研究者はみんな超人に見える。どういう風に調査してきたのか教えて欲しい。
私の緊張はおそらく家族全員に伝播していたので、ご飯を食べるうちにどんどん空気が和らいでいった。その日のメインディッシュとして食卓にのぼった上海蟹はとても大きかった。毎年必ず買いに行くお店があって、長い付き合いの老板が良い蟹を安く譲ってくれるらしい。上海人はこの時期おうちで絶対に上海蟹を食べるので、生涯でそれはたくさんの蟹をお腹におさめるのだという。
お母様が熱心に、工具を使わず歯と手先だけで蟹を解体して食べる技術を教えてくれた。甲羅をはずして蟹みそと卵を堪能したら、細い脚の関節を噛みちぎって中身を生姜醤油でいただく。お母様と私の間には蟹を介して熱い師弟関係が生まれていた。蟹を食べた後でインタビューしたほうがお互いスムーズだったのでは……。しかしインタビューには、もしもとか、へちまはないのである。
後日、文字起こしをした。録音した自分の声を聞くだけでも辛いというのに、下手な中国語を話しているとなるとさらに恥ずかしさが底上げされる。寮でうめき声をあげながら作業していたら、優しいお隣の子がどうしたのと心配してくれた。布団をかぶって外に声が漏れないようにした。
私の声はともかくとして、語りの内容はとても興味深かった。1990年代の上海で、子どもの健康のために情報を集めてできることはなんでもしようとした努力と、ちゃっかり上の人の言うことを破ってみる茶目っ気とがあり、インタビューできてよかったと思った。
インタビューについては、気持ち的に一番つらい時期は過ぎたと思う。協力者のおかげで口火が切られたところなので、これからまた、頑張っていきたい。中国の新年は2月10日。辰年の1年、良い出会いが沢山ありますように。