私の留学の目的は、語学力向上とともに中国の映画市場や動向を理解することである。そこで「語学」と「映画」の二つの切り口から前期の留学生活を振り返りたいと思う。
語学のこと
初めの頃は自分が言いたいことをどう表現して良いか分からず考え込んでしまい、結果発言する機会を逃すことが多かった。また授業で学んだ単語や言い回しを実際に使ってみたくなり、難しい言葉を並べ過ぎて逆に失敗することもしばしばあった。だがある時、先生や中国人の友人は私と話す時になるべく簡単な単語を使って説明してくれているのだから、わざわざ難しい単語を並べなくても知っている単語だけで文章を組み立てることができるのではと気付かされた。それからは自分の表現したいことがあれば一度頭の中でそれを噛み砕き、別の言い方で表現できないか考えてみることにした。新出単語の暗記も大事だが、この方法を取り入れてみると今までの倍以上の速さでスピーキング力が身につく感覚があった。
また中国語を話す際には、中国人特有の話し方や言い回しを意識して取り入れている。例えばタクシーに乗った際、日本にいる時は「停めやすいところで大丈夫です」と運転手に伝えることが多い。しかし中国語で同じ意味を表現しようとすると「随便停一下就可以了」となり、「停めやすいところで」という運転手への気遣い=個人の感情が消え、「適当な場所に止めれば良い」というただの事実伝達になる。日本人の感覚で表現しようとしてはいつまでもネイティブの表現が身につかないので、こういった中国人の感覚を勉強することはとても大事だ。だがそうなると、母国語と勝手が違い「自分らしい言い回し」が必然的にしづらくなるので、留学に行くと性格が変わるというのもある意味自然なことなのだろうと思う。
北京で中国語を勉強して、もう半年が経過した。次の半年、自分はどんな生活を送るのか。最近中国語を話していて思ったのは、私はおしゃべりをするのがあまり好きではないこと、静かな空間が好きなことだ。留学の先輩で、留学前は内向的だったが今では人と出会い話すことが大好きになったという人がいる。しかし自分の場合、人と出会えば出会うほど、会話の機会を増やせば増やすほど、「自分は人と話すのがそんなに好きではないな」と気付いてしまった。これは自分にとって大誤算で、言語を学ぶのに全く向いていないのではとかなり落ち込んだが、まあこんな人もいるだろう、とこれも自分の個性だと思って受け入れるしかない。ほとんどの留学体験記では「留学を通して外向的になった」と書かれているが、そうではないこともあると私が身をもって体感しているので、今後同じ悩みを持つ方がいても安心してほしい。
ではなぜ私は中国語を勉強するのか。もちろんまずは楽しいから。落ち込んだり辛いこともあるが、まだほんの少し楽しさが勝っている。あとは単純に他にやりたいことが思いつかない。せっかくここまで勉強してきたので中国語を使って仕事ができたらという気持ちももちろんあるが、将来のことはまだ深くは考えられていない。中国語を学ぶ理由がこんなに薄くて良いのかと感じるかもしれない。だが私が私らしくいるためには中国や中国語という存在がとても重要な役割を担ってくれているのだろうと思う。
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