「留学は鶏」森下雅洋(北京語言大学)

隔離中の生活に関しては単純であり、他訪中生がまとめてくれると思うので写真にて割愛。

隔離中は日本での生活と変わらず、一人で留学の意義を考える時間が増えた。変わった事といえば天津にいる間に都市日常系ドラマ「流金岁月」を観れたことだ。登場人物達が仕事や生活を通して苦悩し、幸せを掴むかという内容。それも留学の意義を考える事を促進させた。

登場人物達は美男美女だ。会話は口語的であり商業的でもある。都市での生活や考え方など文化的側面への理解も深まる貴重な教材だ。多くの「若者」は映像、書籍等、二次元的に他国に興味を持ち言語学習を志すのだろう。現在の授業も二次元だ。これは果たして留学なのか。二次元という膜に透過され誇張、美化、整理された情報は果たして。と改めて考える。

留学生活は「鶏」だとふと思う。様々な知識(正の面)という餌を消化するには、石という異物(負の面)を取り入れ、すり合わせ、知識を消化する必要がある。言わずもがな、石を取り入れなければ知識は消化できない。石の大小、量も重要だ。異物が喉につっかえれば、量が多すぎれば健康を害し、小さすぎたり、少なすぎれば知識を自分に取り込めない。ただ過ごしやすい環境に身を置き、好きな事だけを取り入れるのは果たして留学なのだろうか。違うだろう。負を取り入れ正を砕き、正を消化し、負を消費するというこの「矛盾」を使いこなすことが留学の意義ではないかと考える。

語学というものは、言葉など好きな事や綺麗事だけを学習しても身につかない。彼らの成り立ち、政治、文化等、様々な事を理解しなければ、彼らの言語の仕組みは理解できない。他国理解というマクロで見ても同じような事が言えるだろう。

日本ではタブーなことが中国ではあり得る事も多いにある。日本と中国の一国としての政治体制や考えは相容れない。この大国が一つ海を挟み存在し、GDP三位以内に共存しているという事も奇跡だ。客観的指標上、現在の二国の信条は一方面では否定しきれない。国がそうであれば民も同じだ。私は中間者として、いかに矛盾を使いこなせるようにするのか。このぐらつく不安定な人生の土台の上で、只管に苦悩し挫折し疲弊するだろう。しかし得れる戦果は測り知れないだろう。

1天津ホテル

2天津ホテル

3語言大学隔離宿舎

4宿舎ユニットバス

5天津での北方特有の朝食、隔離飯油条豆浆馒头

6老北京打卤面

7北京烤鸭も隔離飯で出た

8水餃子の量の多さ

9近いようで遠いホテル目の前の五大道

10近いようで遠い北京南駅から宿舎への護送

11宿舎にて、北京を感じられる朝食