関空から天津航空で天津へ向かう(ビザ取得後、東京発で最速で北方に迎える飛行機チケットがなかったので)手荷物預けの列はもはや中国だった。列の前後の人や添乗員に気さくに話しかけ、集まり、搭乗手続きに必要な健康コードの情報収集をしている。当然自分にもその「質問」が飛んでくるのだが、訛りが強い(自分の中国語のレベルが低い)せいもあり、半分くらいは聞き取れない。「我是日本人哦」とパスポートをチラつかせると、訝し気な顔をして「是吗看不出来。地址的这个怎么写的」と続ける。自分がハーフということもあり、顔は彼らに中国人を感じさせるらしいが、残念ながら日本人だ。
手荷物預けを終え、搭乗待合に向かう。さらに「中国」が深まる。彼らはどこからか果物や持参のおにぎりなどを取り出し食べたり、分け合ったりしている。「夜は飛行機が怖くてよく寝れなかった」と愚痴を吐いたり、爆音の微信の着信音と話し声で通話している様子を観察しながら待つ。搭乗時間になると、我先にと列を成す。そんな彼らを見ていると期待と興奮が入り混じり、身震いと心の中での笑顔が止まらなかった。その彼らの「パワー」を感じると、自分も日本で失っていた気概というものを吸収できるような気がするのだ。
13時20分、搭乗すると防護服のCAが迎える。「中国に到着したな」と先走る気持ちを抑えながら2時間45分のフライトだった。降りるとご存じの厳戒態勢、これがこの国の為せる業かと、日本じゃ到底不可能だ。と不信感よりは感心し、隔離バスへのルートを検査を受け、風景や匂いを噛みしめながら乗車。
「有没有要去北京的人」と聞かれ答えるが、発音もよろしくなく、彼らも防護服を着ているために聞き取れない。周りの人に「他是日本人!听不懂你说的什么!」と助けてもらい事なきを得、天津市内に入っていく。16時40分の出来事だ。
「中国だ」バスから見える景色もさながら、隔離ホテルの順番待ちも含め2時間程度バスに待機した。斜め前に座った中高年の男性はひたすらゴネる。「俺は北京に行きたいだけなのに、早くバスを動かせ。ホテルつぶれたんじゃないか?」それもそうだ。ホテルに着いた19時40分。日本出発から7時間、中高年の中国人男性の気持ちもわかる。しかし自然と「中国だ」という感心と「中国に来れた」という喜びが全てに勝り、気分はすっきりしていた。