「カルチャーショック」岡崎葉生(北京大学)

中国に行って「カルチャーショック」を感じたかどうかを考えてみました。正直に言うと、私は留学している間さほど異文化の中で生活していることに苦を感じませんでした。もちろん問題が起こって、方法がわからず困惑することはありましたが「もうこんなところに居たくない!」とか「日本に帰りたい!」とは思うことはほとんどありませんでした。もしかしたら北京大学の環境が外国人留学生に比較的親切であり、北京という都市になんでもあって便利だから苦に思わなかったのかもしれません。

ただし日本に帰ってきて生活している中で、ふと思い出したこと(これがカルチャーショックと呼べるのかは自信がない)をいくつか紹介しようと思います。

私の足のサイズは26cmほどで、日本で生活していて靴のサイズに困ったことはありません。また、量販店で靴を買う際は私のサイズより大きいサイズがあることを確認することも多いです。しかし中国で過ごすうちに、どうやら中国の女性靴のサイズの幅は乏しい、と感じ始めました。冬に備えて暖かいブーツをネットで探していた際、どの商品にも私の足にあるサイズがないことに気がつきました。「冬 ブーツ 女性用 大きいサイズ」で検索すればチラホラ出てくるものの、そもそも多くの商品に26cmサイズ(40码以上)が用意されていないことがショックでした。ニーズは普通にあるだろうになぜ?と疑問に思わずにはいられませんでした。私の身長は高い方で、日本にいる際は自分の身長に合うサイズの服がないことで困ることがよくあります(サイズ展開がフリーサイズのみとかS・Mのみとか)。しかし北京に来てみると私の身長に近い女性を頻繁に見かけ、ここなら服のサイズで困ることはないだろうと嬉しく思っていたのですが、まさか靴のサイズで困るとは。

ただし足のサイズが小さめの友人も、通りすがりの靴屋であなたのサイズはこの店にないと言われていたので、小さいサイズならなんでもあるということでもないようです。

距離感

日本語を勉強している中国の学生と話していて「日本の大学では先輩に敬語使わないといけないって本当?」と聞かれたことがあります。その時は「本当だよ」と軽く答えたのですが、中国の大学のサークル活動に参加してみて先輩後輩の隔たりがないだけでなく、見知らぬ学生同士の距離感が近いことに驚きました。

サークルのネイルチップ作りの会に行った際、「白色持ってる?次貸して」とか「その模様どうやって描いたの?」とか「あなたのネイルチップすごく可愛い」などとよく話しかけられました。お互いが先輩なのか後輩なのかは全く気にせず、抵抗なく知らない人に話しかけている様子が私にはとても新鮮でした。

私は先輩に話しかけるときはやはり少し緊張してしまうし、後輩に敬語で話しかけられると「あっちが敬語使ってくれているのに私がタメ口で答えたらちょっと偉そうかな、でも敬語で返しても逆に気を遣わせるかな」などと考えてしまうので、こういったコミュニケーションのやり方は驚きつつも快適に感じました。

おばさん

新疆カシュガルの空港にて、飛行機の搭乗時間が遅れてみんながイライラしていました。やっと搭乗が始まったと思ったら、狭い通路に人が殺到して渋滞状態になってしまった瞬間が。今考えるともう少しで危険な状況でした。

誰かが「空いている空間がある方に進んで!」と叫び、空いている空間があることが見えていない誰かが「無理だ!」と叫び返していました。周囲の人が空いている空間に進んだことで渋滞は緩和していったのですが、先ほどの言い合いはまだ続いていました。「どこにも進みようがなかった」おじさんと、「危なかったのでとにかく進んで欲しかった」おばさんの口論のようでした。

中国では何かあった時にすぐさま申し立てする人が日本より多いですが、私はその光景にとてもカルチャーショックを受けました。何のショックだったというと、「見知らぬ怒ったおじさんに対して怒り返すことができる通りすがりのおばさん」という存在に対してのショックです。

先日大阪駅の構内を歩いていると、急いでいる様子のおじさんが、前にいた女性にぶつかって一方的に暴言を吐いていました。周囲はおじさんの大声に驚いてそちらを向いたものの、誰も何も言いませんでした。こんな時、カシュガルの空港で口論していたおばさんなら「お前が勝手にぶつかって来たんだろうが!」と叫び返しただろうかと考えました。

日本に帰国する前こんな夢を見ました。私は日本の自分の部屋にいて、その部屋は留学前と全く変わらず、中国生活で連続されていたものが全て断たれてしまったような感覚がしてとても寂しくなったのを覚えています。また、中国での出来事は全部夢だったのかもと怖くなり、北京の寮の部屋に戻りたいと思っていたら目が覚めました。

しかし帰国してみると、夢の中で恐れていたような、中国生活で連続されていたものが全て断たれてしまったような感覚や全部夢だったのかもと思うことはありませんでした。いくらその場所から離れてもその場所で得た経験や感情が消えることはなく、自分の中に蓄積されていることに気づくことができました。そしてその気づきこそが留学で得た最後の大きなショックだったと思います。もちろん時々恋しくなって、自分のスマホの写真フォルダを見返してしまうのですが。