「留学を終えて」森下 雅洋(北京語言大学)

6月にあった同時期に留学を経験した方とのオンライン同窓会では、皆さんが未来を見据え、己の考えを持ち、その口で率直な意見や展望を語っていた事に関心しながら聞いていた。このコロナ禍突入の前後、同時期にここまでして中国に魅せられ、渡航し、思いを実らせた若者達は果たしてどのような決意や思い、夢や希望を抱いていたのか、実際に直接言葉を交わした方々は千差万別の思いを語ってくれ、私の心をひどく感心させる。

留学メンバー

留学の方法がどうであれ、コロナ禍後初の派遣であり、0に近い状態からの第一陣を切った我々の生々しい経験は、日中友好の再スタートとして、揺るがなく変えられないものとなったであろうし、我々の思いはとても価値があるものだと思っている。

2月頃友好協会様側の紹介により、現在の日本での進路を得た。勿論、中国での現地採用の道、研究生の道へ進む、現在の進路へ進む、帰国し日本企業へ等、様々な進路を考えたが、まず私を悩ませたのは、この段階になり、中国学習者として中国の文化理解において、他の日本人より遥かに卓越した物を持ち合わせている自覚と自信はあるが、社会を歩んでいく者としての「中国」がまだ分からないし、何が分からないのかさえ分からないという事実であった。学生としての中国に関する、夢、希望、愛、憂い等を語るのは容易いが、果たして何かの立場を持ち、自ら対価を得るものとしての社会的に責任感ある対中感を持ち合わせているかと言えば自信がなかった。

留学中に学内で話を交えた日本人大学生に上記の進路憂いを話した上で「一応、日本で仕事は決まっている。とりあえず日本で働く、自信はないが、やるしかない。」と話すと「年齢と自らの自己肯定感の低さを理由に、「とりあえず」というような気概で日本に帰国し、妥協の中でその専門性の芽を摘む必要はない。その専門性に自信を持ってほしい。現在の進路選択、況してや自分自身にもっと自信を持ってほしいと願っている。次、もし出会う時があれば、私に自信をもってその仕事の何某を語っている姿を見せてほしい。」と重く申し伝えられた際、私は閉口し、何も言い返すことができなかった。

元はと言えば、20年派遣生として合格した際の私は、職場の不適合や、モラハラ、中国関連のスキルアップが望めない環境等で、ストレスを感じ、酷く自信が欠落し、現実逃避、藁にも縋る思いだった。そもそもの留学理由が彼らの夢とは大きくかけ離れている。そして自分が遥かに中国人的な思想や価値観で、中国的要素が欠如した場合にストレスを感じるという事に気づけたのは、このコロナ禍から、語言大学に留学した後の事である。なので、学生時代のこの状況下で、中国に対する夢や希望を実行に移すことができる事に毎度のように感心させられるのである。

現在の進路に進み早一か月が経つ。印象的だったのは中国渡航に関する問い合わせの際に、自分が6月末まで中国にいたと伝えると、驚き感心された事と「死ぬまでには北京故宮に行きたい」と伝えられた事である。4時間程度で行ける同じ漢字圏の国でこうも遠く離れている感覚に彼らはあるということである。我々知中派の使命は、日中の心の距離と価値観の距離を縮める事である。中国に渡航したという事実に関して負の驚きではなく正の驚き、「大丈夫だった?」ではなく「いいな、私も連れてって」となるような関係構築の礎となれるようにこれから努めていかねばならないと思っている。

華清池内の寺院

西安 城壁

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