私の中国留学は幕を閉じ、7月25日午後9時30分、成田国際空港へと到着し、私は無事日本に帰国した。残り3回のレポートは、私の留学報告書としてそれぞれの小テーマを「海外での日本人らしさとは」、「無限の場(Infinite Place)を持つということ」そして、「私の想いと感謝の言葉」と題す。今回は、第一章の「海外での日本人らしさとは」について述べる。
人は、生まれながらにして様々な組織に所属している。家族、学校、会社、クラブ活動等が主に挙げられるが、日本から出国し海外の地へと足を踏み入れれば、意識があるなしに関わらず「日本国」の組織代表として、すなわち日本人としての行動責任が伴う。日中間に関わらず、特に他者との交流の際には、両者とも自分の中にある相手の出身先に関わる知識、またその知識が乏しい場合には想像と偏見を持った上で交流する。しかし、相互交流の過程における自分たちの言動1つで、相手が自分に対する、そして自分が相手に対する印象、ひいてはその人が所属する国に対する評価の正誤を判断するとともにそれらが一瞬で変化し得ると、私は留学を通して強く感じた。
私は大学時代、国内にて様々な日中活動に参加してきた。国内に居るときは、私の周囲に中国に興味をもつ者が少なかったため、それらの活動に参加して中国に興味がある者同士のつながりを広げることで国内における中国ネットワークを広げ、中国に関わる知見を広げた。しかし、「日中」に限定された交流活動では、ある程度互いの国に対し理解を持つ者同士が集まることが多いため、特に来中後はそれが自分の中で変化を起こしづらいコンフォートゾーンになり得る。そのため、今回の留学では「日中活動」への参加は控えた。だが留学中に参加するボランティア活動、国際交流活動、サークル活動や日常生活においては、「日本人」としての自覚を持ち、「日本×中国×○○」に係るプロジェクトに常に参加しているという心持ちで私は留学期間を過ごした。
ここで一点、「日本人」について、何を以って「日本人」と成すかそれは大きな疑問である。個人で自分の国に対して愛国心を持ち、自分の国に敬意を持つことは非常に重要だ。一方で、自分が混血だということに加え、中国国内で住民の大部分が少数民族の新疆カシュガル地区への旅行経験から、私は国籍の概念を持つことに強い思いを持たない。しかし、私はこれまでの日本での暮らしにて無意識に獲得してきた自分の中の「日本人らしさ」を留学中に強く感じたとともに、「らしさ」とは言語化可能な要素と言語化不可能な要素の2つで成り立っていると考えた。言語化可能な部分とは、日本本土以外で育った者が日本人を見て思う印象だ。そして日本人だとしても、育った環境や過去の経験から前者とは異なる個人の特性が出現した言動の特徴のことが後者の言語化不可能な要素だ。また、これこそが自分が他人に対して与えられる影響力の源にもなり得るのではないだろうか。まとめると、自分らしさが海外では「日本人らしさ」にもなるということだ。
したがって、将来海外へまた行くかもしれない自分自身を含め、到着先に関わらずこれから海外へ行く日本人の方に2点、私の留学の一つの学びを共有したい。①すべての活動や行動に対して、日本人としての自覚を持ち「日本×中国×○○○○」に係るプロジェクトに常に参加してるという心持ちの徹底、②自分自身が考える日本人らしさに成り得る自分らしさとはどの部分であるかを意識してみることの重要性だ。この2点を意識することで、国際交流のみならず日常生活にでもより多くの学びの収穫を得られるとともに、文化背景の異なる他者との自分らしさと自分の強みを活かした関係性構築が可能になると私は信じ、これからも国内外を渡っていきたい。