思い返してみると、留学中、私は胸を張って日中友好活動に参加した、と言えるほどそういったイベントに参加できていなかったように思われます。どちらかと言えば、一人で街をぶらぶら散策したり、美術館や博物館、書跡を巡ったり、はたまたクラスメイトと一緒に遊んだり、といった思い出の方が先に浮かんできてしまいます。しかし、浙江大学の日本語学科をはじめとする学生の皆さんと知り合えたお花見会や、杭州中日友好日语交流会(微信のグループチャット)、日中交流サークルにお呼ばれした手巻き寿司パーティー、中华文化走出去暨网络文学国际传播座谈会など、けして多くはないですが、印象深いイベントに参加させていただくこともできました。
また、上記のような、ある特定の時間や場所、人数で行われるイベントに限らず、日頃から礼を失さない態度を大切にしてきました。それは例えば超市でのお買い物、タクシーでのやり取り、店員さんとの会話などにおける心のあり様です。というのも、まだまだ語学が未熟なため、一言二言話せばやはりすぐに外国人だと気付かれてしまい、出身を聞かれる場面が少なくなかったことに大きな理由があります。そういった際、たとえ相手にとっては数分後に忘れてしまうようなやり取りでも、その場では「私」という個人に興味を持って尋ねてくれたのですから、「日本人です」と答える以上、その瞬間だけは相手は「私」を通して「日本」を見ようとします。つまり、その時その場において、「私」は(相手から見た)日本人への印象を左右しかねない責任を負うのです。だからこそ、名のついた特定イベントに限らず、日常の中で、ふいに出身を尋ねられることがあっても堂々と答えられるよう、節度のある振る舞いを常に心掛けていました。
余談ではありますが、留学前に掲げていた目標「中国各地の書跡を巡ったり、書道に関する知識を深める」を、限られた時間やお金の中ほんの少し達成でき心晴れやかである一方、その時間をもう少し他者との深い関わりに割けたのではないか(割くべきだったのではないか)、という拭い去れない一種の罪悪感のようなものもやはり残っています。私の性格上、きっとどのような時間の使い方をしても後悔は尽きないでしょうし、結べなかった多くのご縁が頭をよぎっては悶々としてしまうでしょう。ですから、これまでの経験は、思いがけない学びに沢山出会えましたし、けして無駄ではなく、有意義なものだったのだと思うようにしています。