「中国留学を終えて これからの私」櫻井彩乃(雲南大学)

まず、約1年続いた留学レポートも今回が最後かと思うと感慨深いものがあります。私は文章を書くのが割と好きですが、かなりの面倒くさがりであるため、レポート提出の機会がなければ、自身の留学生活を文字に起こして振り返ることもなかったでしょう。日中友好協会様の素敵な企画に感謝しています。

前期のレポートでそうしたように、後期もいくつかのワードで振り返りたいと思います。1つ目は「缘分」です。中国人は日本人以上に「縁(缘分)」という言葉を好んで使うように感じます。そして、今回の自身の留学を一言にまとめるならば「人に恵まれた留学」と表現できるほど、かけがえのない缘分に沢山恵まれました。雲南大学の先生、留学生の友人、中国人の友人…様々な交流の中で多様な価値観に触れる機会がありましたが、皆情に厚い上、それぞれ自分にないものを持っていて生き方を見習いたいという尊敬の念を抱かざるを得ない人達ばかりでした。大学に入学した頃は自身が中国ましてや雲南に留学することになるとは想像もしませんでしたが、様々な偶然と自身の選択が今回の留学に導いてくれました。正直ここ数年は鬱々とした日々を過ごしたり自身の将来について悩んだりすることも多かったのですが、これまでの紆余曲折はこの留学に辿り着くためにあったのではないかとまで思ったりもします。留学申請時に雲南大学を第一志望として挙げた理由はいくつかありますが、実を言うと当時雲南に特別な思い入れがある訳ではありませんでした。しかし、今雲南は私の第三のふるさとに変わりました。それは全てそこで出会った人達のおかげです。雲南という地に留学し、沢山の素敵な人達と出会えたその缘分に感謝の気持ちでいっぱいです。

2つ目の私の留学におけるキーワードは「反対側」です。少々政治的な話になりますが、もし国家の政治体制や思想に基づいて現代世界をざっくり二分するならば、日本と中国は異なる側に属することになるでしょう。まず、留学生の出身国からそれを感じました。私が日本で卒業した大学も多くの留学生を受け入れていますが、その大半はアメリカ、西欧諸国、タイ、シンガポールや香港・台湾地域から来た人たちでした。経済的に発展しており、政治的な面から見て日本との関係が比較的密接な場所から来ている人が多い印象です。一方、雲南大学ではタイを除いて上記の地域から来た人たちは少なく、代わりにベトナム、ラオス、南アジアの国々、ロシア語圏の国々から来た留学生が大部分を占めていました。前述の国々と比べると日本人には馴染みが薄く、これからさらなる発展が望まれる国々です。これは地理的な要因及び中国の一帯一路構想による部分が大きいのではないかと推察しますが、そのおかげで日本国内にいるときは中々目を向けることのない国々の文化や考えに触れることができました。特に印象に残っているのが、アフガニスタン人留学生の話です。日本ではアメリカ軍のアフガニスタン撤退によるアフガニスタンの混乱した状況が頻繁に報道されていますが、彼から聞いた話は異なる観点からのものでした。アフガニスタンにも様々な考え・立場の人がいると前置きした上で、彼自身は一般市民を無差別に攻撃し資源を搾取するアメリカに反感を覚えており、ロシアや中国が支援してくれる現状のほうがマシだと話していました。日本で得る情報と中国で得た情報、どちらが正しいとか信用できるかはさておき、日本に留まっていては中々耳に入らない・一般的には受け入れにくい意見に触れることができたのは中国という「反対側」の国に留学したおかげだと思います。

また、歴史問題についても同じことが言えます。日中戦争時の日本による行為の数々が中国では”しこり”のように残っていて、中国人の対日イメージにも影を落としています。正直、以前の私は中国が過去の出来事を何度も掘り返して日本を批判することに良い印象を持っていませんでした。しかし中国人と交流したり戦争に関する資料館に訪れたりする中で、中国側の態度にも一定の理解を示せるようになりました。例えば、日本では毎年原爆の日になると犠牲者を悼み、二度と同じことを起こさぬよう世界に呼びかけています。中国による歴史問題における一連の対応もそれとさほど変わりのないことなのではないでしょうか。日本国内でメディアが報じるのは戦時中に国内で起こった悲惨な出来事が中心で、自国が他国にもたらした負の影響について学ぶ機会・見つめ直す機会というのは自発的に知ろうとしない限り極めて少ないように感じます。しかし真の意味での「友好」を望むのであれば歴史問題は決して避けて通ることはできず、これらの「負」の歴史にも向き合い議論していくことが必要不可欠です。このように、今までの自身にとっての「当たり前」を疑い、「反対側」の意見にも意識を向けるようになったというのは今回の留学で得た最も大きな収穫の1つではないかと思います。

私の留学における3つ目のキーワードは「日本」です。私が海外留学に行きたかった理由の1つが、海外から「日本」はどう見えているのかを知るためでした。今の時代日本国内にいても海外の人と知り合うことは容易ですが、彼らの多くは少なからず日本に好意的な目を向けているからこそ日本に居るわけで、彼らの対日印象は決して全ての外国人の意見を代表するものではないと感じていました。しかし、中国で知り合った留学生の友人達からも日本への愛を伝えられることが多く、意外に思いつつも嬉しかったです。例えば、バングラデシュからの留学生は日本がバングラデシュに多くのインフラ支援を行なっている点を挙げ、日本のことが大好きだと伝えてくれました。ベトナムからの留学生も日本が現地で行なった遺跡の修復事業に関して紹介してくれ、私の知らない「日本」の姿を知ることができました。私が留学していた雲南は日本人が極めて少ないため、多くの人から「櫻井彩乃」というよりかは「日本人の櫻井彩乃」として認識されていたように思います。日本語を勉強していたり日本文化に興味があったりする学生から友人になりたいと連絡をもらうこともあり、「日本人」であることが私の個性もしくはアドバンテージとして働くことが多々ありました。

中国滞在中は「愛国」という言葉についても考えさせられました。「愛国」は中国政府が掲げる社会主義核心価値観の1つであり、中国にいると様々な場面で頻繁に見聞きする単語です。ドイツの友人達とは国内で「愛国」という言葉を使うと右翼と見なされる可能性もあり、軽々しくは使えない単語だという結論に達しました。一方で、中国と同じく社会主義国であるベトナムの留学生と話していた際には「愛国心を表現することに何の問題があるの?彩乃は日本を愛していないの?」と聞かれました。その際私はうまく返答することができませんでした。一方で、その後自身の日本人としてのアイデンティティ・誇りと日本という国への愛着を自覚させる出来事がありました。南京という日中の歴史においてとりわけ敏感な地に行くことになった際、数人の中国人から「南京では日本人だと言わない方が良い、韓国人やタイ人だと偽った方が良いよ」という親切心からの忠告を受けました。しかし南京で実際に自身の国籍を聞かれた際、私はどうしても他の国の人だと偽ることができなかったのです。いまだに「愛国」という言葉を使うことには若干のためらいを覚えますが、この経験から受動的に「ああ、私はやっぱり日本人なんだ。自分の生まれ育った日本が好きなんだ。」と実感しました。

ここまで、前後の脈絡もなく留学中印象に残った点をひたすらに書き綴り、気がつけば3000字を超える超大作となってしまいました…。文を締める前にこれからの私について少しだけ書かせてください。直近の目標としては中国に戻って仕事することを目指しています。 今回の滞在は半年にも満たず、全てのものが新鮮で常に好奇心に満ちているような状態でしたが、より長期間中国で生活をすれば、また異なる感想を抱くことになるのだと思います。まずはその機会を手に入れられるよう努力する所存です。

最後になりましたが、この場をお借りして貴重な留学の機会と多岐にわたるサポートを提供してくださった日中友好協会の皆様、私の留学生活を素晴らしいものにしてくれた雲南大学の先生方や友人、そして私の選択を尊重し留学に快く送り出してくれた家族、今回の留学に関わった全ての方に心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。

留学中に沢山お世話になった大好きな人達(の一部)