「留学を終えて〜これからの私〜」岡崎葉生(北京大学)

中国に来た当初、まず慄いたのは教室と現実は違うということでした。隔離施設に向かうバスの中で説明している人の説明が全く頭に入ってこなかったのでどうしようと狼狽えていました。また、何か話しかけられてもあまり分からなかったので雰囲気と予測に頼っていました。しかし周りの留学生達の中国語レベルに焦りを感じて、とりあえず聞き取れなかったら聞き返すというところまで頑張ろうと決意しました。また、余裕がある時には食堂などでその料理がなんなのかを聞いてみるなどを重ねて「分からない→硬直」から「分からない→とりあえず聞いてみる・調べる」に持っていけたと思います。

中国語の習得もさることながら、「言葉(声)を発する」という心理的なハードルを飛び越えることが自分にとって何よりの課題でした。残念ながらハードルをなくすことは出来ないので、「この程度のハードルなら飛び越えられるぞ」という自信をつけるために小さなハードルから飛ぶ経験を積む事にしました。そうすると、「このハードルは飛んだことはないけど、似たようなハードルは飛んだことがあるな」と気づくことが多くなりました。そのような応用が使えるようになると、日々の生活を比較的リラックスした状態で過ごすことができるようになりました。リラックスした状態でいることが良いのか、プレッシャーのある状態でいることの方が良いのかというのは人によります。私はプレッシャーが強い状態だと、そもそもハードルが置かれている運動場に行かなくなるタイプのようです。

また私の傾向として、どうしても伝えたい・話したいというとき以外、自分から発信する意欲がなくなってしまうというものがありました。そのため、この事について話したい!と思える友人に出会えたのはラッキーでしたし、そうでなくても自分の興味のあるイベントに参加することは会話する意欲を上げることができたように思います。また楽しいかは別として、生活に必要なもののための手続きの場は自分に無理やり会話させられる良い場でした。以前にもレポートで書いたかもしれませんが、奨学金の手続きでトラブルがあり、何度も担当の方と連絡を取らないといけなかった時がありました。生活するためには奨学金がとにかく必要なので、(そして自分の過失ではなかったので)遠慮せずに自分の意見を訴えることができました。後になって振り返ると、このやりとりが「遠慮してないで自分の要求を言わねば!」と思うようになるきっかけとなりました。

中国に行ってやっと生活の全てを自分一人で対処するという初めての体験をしました。その体験を通じて上記で書いたような「言葉を発する」というハードルを飛ぶことは以前よりもできるようになりました。しかし日本に帰って来てみると、みんなの「飛び方」に注意が向くようになりました。以前は飛び越えられるかどうかで躍起になっていて、「飛び方」にあまり目を向けていませんでした。この「飛び方」というのは「伝え方」のことです。ハードルを飛び越えた先には、自分の要求や意見が伝わるという未来(=目標)があります。もちろん、どんな飛び方をしてもそのハードルを飛び越えられたのなら目的は達成しているのですが、多くの人はどうやらより良いフォームの飛び方を目指しているようなのです。どうせ言葉を発するならば、良いフォーム、つまりより「スマートかつ適切」な良い伝え方をしたいというように思い始めました。

そのためには、人々がどのようにしているかを観察し、そして繰り返し模倣する必要があります。そのため、いろんな人と話す機会の多い場所に行ってみて自分の身を置いてみようというのが現在の私の目標です。そしてもっと言えば日本語だけでなく、中国語においてもいろんな「飛び方」を模索できるようになりたいです。