「中国留学を終えて これからの私」森下 雅洋(北京語言大学)

これから私は、日中友好協会からの御縁で中国のプロモーションを行う機関で働くこととなった。一般企業ではありえないような、客観的で第三者目線で、そして遥かに中国の立場に立った形で中国の良さを伝えるのが使命である。

私は8月のレポートで述べた様に「日本に息苦しさ」を感じている日本生まれ日本育ちのハーフである。

新卒から、コロナが発生したあの時期の日本が心底嫌いだった。(中国に行けないという事よりも、コロナ禍のあの閉塞的な空間に精神的に参っていた)実際に体調を崩した。体調を崩したまま、中国に行きたくないと、通院、投薬、トレーニングを始め22年9月に渡航が叶うと体調がみるみるよくなっていった。

自分が今までの人生で、自分自身の適正を知らなかった事、日本さえも知らなかった事、知らないからこそ迷い、適応できなかった事に気づかされコロナ禍と留学であった。

10月から自由に(学内ロックダウンはあったが)学生と交流できるようになり、1月頃から、語言大にも他校の日本人学生が来るようになり、オフライン授業も始まり、交流が増えた。彼らと交流すればするほど私は「日本の良さ」を伝えられない事実に気が付いた。ただ、知り合った日本人学生に当たり前のように話せる中国のグルメ、考え方、見方、理解の方向性に関しては、学生達に関心される様な物であった。やはり自分は遥かに中国寄りであるし中国を伝えるということのほうが遥かに弁が立つことが分かった。留学しなければそれすらも分からなかったのだ。

その段階で得た現在の職場の紹介だった。受かる気もしなかった履歴書の提出では、長々とネガティブな事を書き連ねた。能力や考えで誤解されたくなかったからだ。新卒企業での挫折経験が特に大きな原因だった。しかし面談で「やはり君は遥かに中国的だ。」「私は君をかっている。」と伝えられ「使命中国の魅力を中国目線で伝える事。」という言葉は強く心を動かし、また自分は間違っていなかったと再認識させられたと同時に、自信もついた。新卒企業からコロナ禍においての挫折や自己否定の数々は苦しい側面もあったが、その期間で自らを考える時間と、中国留学の資格という人参をぶら下げられた馬の様に、じわじわとあきらめずに自らの脚を前に進め、遂に結果が出たという気概になった。

7月1日から在籍している現職の使命は大きい。関東圏での中国関連のプロモーションイベントは大体関連する事となる。今自分は「社会人として知るべき在日の中国のネットワーク」と「社会人として伝えるべき、感じるべき中国」を未だ知りえない、分からないことが分からないのである。ただ焦る必要はない。中国的な職場は遥かに自らの精神を安定させてくれるし、どうしてそれが起こるのか合点がいきやすい。これからの私はもっと深い次元で中国を理解できるだろうし、中国を伝えることができるだろう。これからの人生において、自らが関わった「何か」で、相互理解、友好が深まり「あの時の、あの人の「中国観」が私の心を打ち中国に行きたい、多少でも興味を持つことになった」となれば願ってもいない事であるし、そう思われるような発信者になりたいと思っている。

現在の職場の関連イベントにて1

職場関連イベントにて2