あっという間の半年間だった。現地に行けないことがとても辛く、やる気を消失してしまうことがたまにあるが何とか半期を乗り越えた、という感じだ。中国の大学の授業を受けられることはとても貴重なことだが、やはり「オンライン」は色々な面でしんどいこともあった。まず、身体的に目が痛くなる。生活面で言えば、現地で互いに切磋琢磨する友達ができず、日常的に中国語及び中国文化に触れることができない。一方、授業に関して言えば、少人数クラスであったことと先生の教える技術が素晴らしいこともあり、授業の質は現地で受けるのと大して差はないと感じた。オンライン留学は授業が全てである。そこで、今までの授業を振り返り、興味深かったことについて紹介する。
まず授業から、国によって中国語の教え方が異なるのではないか、という疑念が湧いた。中国語を学び始める際に最初にやることが、「発音練習」である。声調の高低と母音・子音を慣れるまでひたすら発音練習する。中国語に限らずどの言語でも発音練習は欠かせないが、その中でも中国語は「発音命」と言われるほど発音が難しく、重要である。声調を間違うだけで全く別の意味になってしまう。私は中国語劇団に所属し、発音の訓練を行ってきたため、発音は割と良い方だ。逆に他のクラスメートは、私からすると発音がそれほどうまくなかった。巻舌音ができておらず、声調もぐちゃぐちゃという点において正確な発音があまりできていなかった。しかし、彼らは文章を書く、自分の意見を述べる、人の中国語を理解する、という方面でかなりレベルが高かった。専攻で学ぶか第二言語で学ぶか、あるいは華僑かそうでないか、留学経験があるかないかなど様々な要因があるが、中国語を学ぶ上で何に重きを置くかが異なるのかなあと感じた。また、私は発音にこだわりすぎて听力(聞く)、写作(書く)、 口语(話す)の能力を伸ばすことを怠っていたなと反省した。
また、いつも感じていたことは、「自分って思っていたより日本について何も知らないなあ」ということだ。海外の人に日本文化の紹介ができない、海外に行って初めて自分の国の良さを知る、などということはよくある話だが、まさにこれだ。気候や季節の行事、食文化といった特徴から人々の恋愛・結婚観、職業観、人生観などの価値観、あるいは言語の特徴など自分の国について紹介する場面が多くあったのだが、非常に難しかった。毎回ネットで調べて、やっと答えられるというほど何も知らなかった。何となく理解していても別の言語で紹介することはこの上なく難しい。「私の文化」はどこの文化なのか、一般的な価値観とは何かなど考えすぎて、「日本とは何か」と訳が分からなくなった。
このように、毎回の授業で新たな発見があり、とても面白かった。来学期は今まで考えたことを吸収し、さらに新たな発見ができるよう授業に取り組みたい。一つ、反省点は留学の目的を見失っていたことだ。自由自在に中国語を使えるようになることが留学の一つの目標であったが、コロナウイルスで気持ちが沈み、忘れかけていた。中国人と話す機会もなく、あと半年しかないが、この目標に少しでも近づけるよう授業中は積極的に発言し、授業内容を身に付けられるよう頑張りたい。“熱願冷諦”。現地に行けるかもと一縷の望みを持っていたことでよりやる気がなかったのかもしれない。もう現地には行けないのだと思うと、前に進めそうな気もする。留学が終われば他にやるべきこともある。臨機応変に将来の夢に向かって頑張ろう。