10月1日から5日の間国慶節の長期休暇を利用し中国人の友達と彼女の故郷に帰りました。彼女の実家は河南省の周口市の隣にある小さな村にあり、貴重な農村生活を体験しました。河南省は中国の内陸に位置するため、日本の農村とは違い水資源が全くないに近いくらい水不足の状態でした。畑の土も乾燥していて、その村に住んでいる人達は政府が設置した井戸の水を使い生活していました。今まで中国の農村には一度も行ったことがなかったため、行く前に農村の現況について下調べをしていましたが、実際にその地に着くと想像を絶するような光景がたくさんありました。さらに、農村の風景や村に住む人達との何気ない会話から中国の今日までの経済発展がどれだけ農村と関係しているか、中国の歴史的な建物や習俗などが見受けられました。さらに、改革開放期の中国人たちを感じさせられるようなスローガンや毛沢東の肖像画など時代のギャップを感じました。
私が彼女の家に着いたとき、「彼女の家で飼っている犬がウサギをかみ殺したから今日の晩御飯はウサギの肉だ!」と聞いて驚きました。ウサギの肉は今まで一度も食べたことがなかったため、少し抵抗がありました。何よりも、そのうちで飼っていたウサギを食べるということが信じられませんでした。ほかにも、畑のど真ん中に土葬があり、友達のおばあちゃんのお墓を見せてもらいましたが、生まれて初めて土葬を見たのでまだこのような埋葬方法があることに驚きました。しかし日本の村でもまだこのような埋葬方法があるということをネットで知りました。
農村での生活で一番苦労したことは、反日思想にぶつかったことでした。ご飯を一緒に食べてるときに日本が中国と戦争をしていた時の話や、日本の歴史教科書に日本が中国に対して卑劣なことをしていた。日本が悪かった。ということが明確に書いてないだろう。と指摘されたりすること、また方言交じりで理解できないだろうという考えで日本の悪口を言われていたことなど、積み重なるほどそこで生活しにくくなってしまいました。家族がそのような発言をする中で、私の友達は私をフォローすることなく、一緒になって批判をしてきたため、農村生活の後半は精神的に追いやられていました。私の友達は、日本の小説を読むことが好きで2年前に日本に来たこともありその時以来の友達でもあったのに、内心では強烈な反日精神を持っていて、私が日本人であるということから壁を感じていたこと、今までも私とかかわっている中で不快な思いをしていたことに気づいたとき私はとても悲しくなってしまい、その悲しさが、中国語や中国の文化を理解することの楽しさや、中国人と交流することの楽しさを上回ってしまったために、中国に留学していることがとても苦痛に感じてしまいました。
友達と別れて、寮に戻ってからはその友達と連絡することはなくなりました。また、寮ではルームメイトが私のいびきがうるさいため両隣から苦情が来ていて、私がいない間に留学生センターの先生が部屋にきて注意をしに来たというウソをつかれたことや、私が部屋で勉強している時に彼氏を部屋に呼び、部屋から追い出されるなどいろいろな不都合が重なり、大学の外のアパートを借りて生活することになりました。しかし、アパートでの一人暮らしが始まってから、自分の部屋に暖房が付くまで3週間ほどかかったので寒さに耐えられず、風邪をひいてしまいました。中間テストの1週間前にひどい風邪をこじらしたので、勉強も間もならない状態でした。さらに清華大学の校内にある病院でもらった薬が体に合わず、薬を飲んでからすぐに全身が激痛を伴い、次の日に日本の患者さんが多い病院に行って診察を受けました。
このように、10月はいろんなことを経験した月でした。しかし、今まで経験したことのないことを経験したことで、いろいろな分野に関してもっと自分の理解を深めなければならないと実感できたことはすごくいいことだったと思います。私は、中国武術が好きでそこから中国に興味を持ち始め中国語の勉強を始めました。サブカルチャー的な部分から中国語や文化などの学習を始めたために、歴史的な出来事に関してはまだ理解が浅いと思います。今まで、留学や現地の人との交流を通して、私は中国が大好きだ。と思っていました。辛いことを経験しても、中国を好きだという気持ちは変わりません。しかし、中国語を使ってコミュニケーションをとれる段階になったからこそ、もっと多くの分野を理解することや、自分が当たり前だと思っていることがどうしてなのかを学ぶ必要があると考えます。そのためにも、これから貴重な留学生活を使っていろんなことに取り組んでもっと中国について理解を深めたいと思います。さらに、中国の事情を学ぶと同時に、自分の国についての理解も深めなければならないと思います。
大学(授業・試験・生活・寮)、授業がない時、休日の過ごし方 清華大学 西嶋ゆい
2020/02/07