懇親会には李天然総領事も出席
・西日本実務者交流会議、盛大に開催
9月1日・2日、西日本実務者交流会議が兵庫県神戸市で開催され、18府県から38人が参加した。地元兵庫の梶孝夫事務局長が司会を務め開会を宣言、協会本部を代表して、西堀正司専務理事が、「今回は新しい時代にふさわしく、前向きな、役立つ交流を期待する」と挨拶。
次いで関西ブロック協議会代表の田中彰寿京都日中会長が、6月の丹羽会長との訪中時、唐家璇中日友好協会会長が、イノベーション(中国語:創新)を繰り返し使ったことを報告し、我々もイノベーションするために、今日の会議があると強調した。会議は田中彰寿理事と大薮二朗常務が進行役を務めた。
前半は、各府県協会が、事前のアンケート調査に基づき、手際よく報告をした。三重県の技能研修生受け入れ事業が、日中友好事業を支えているということで、とりわけ注目された。後半では、前向きな意見、提言が多数あった。特に注目されたのは、岡山日中・景山貢明会長の「来年に日中友好会館を建設する」という発言であった。
懇親会は木本利夫理事(石川県日中会長)の挨拶で始まった。多忙を押して李天然駐大阪大使級総領事も駆けつけられ、「8月の『対話湖北』には、関西から約300人が訪中し、地域間の交流が大いに拡大した」と述べられた。美しい神戸の夜景を眺めながら、日中友好の仲間の交流は和やかに続いた。
2日目は、前日の発言を踏まえて、各協会とも突っ込んだ内容の意見が交わされた。松本武城兵庫県日中会長が締めにふさわしい挨拶をし、白熱した会議は無事終了した。
(常務理事 大薮二朗)
各協会を盛り上げ創立70年へ
・東日本実務者交流会議、厳粛に挙行
9月8日・9日、埼玉県さいたま市にあるマロウドイン大宮にて東日本実務者交流会議が開催された。北海道から静岡県まで、13の都道県の理事長、事務局長などの実務者が一同に会した。冒頭、岡崎協会理事長より、「このような会合を通じて地元の協会を盛り上げ、来年の協会創立70周年を迎えたい」との挨拶があった。
その後、各協会からの近況報告や、運営の課題について意見交換。特に北海道から、三菱マテリアル社からの資金で美唄市に慰霊碑が設置されるという報告には、中国と日本の間で歴史認識が整えられている証だと感じた。
初日の会議後、懇親会に移り、それぞれの協会の状況などをより詳しく述べ合った。各協会に共通して言えるのは、会員の高齢化と入会者数の減少。何とか会員を増やし、これまで中国と日本を繋いできた歴史を継続させていくことは重要だが、今の時代に求められている「役割」について改めて明確にする必要があると感じた。今回、私のように初めて参加した人が多いようで、議論を深めるにはもう少し時間が必要だったと感じている。
近いうちに実務者が集い、継続的に意見交換をし、情報の共有と、個々の都道府県協会の枠を超えて運営の効率化を図ることも必要だと感じた。
SNSやインターネットを積極的に活用し、多くの人に協会がこれまで実施してきた素晴らしい事業の数々を、もっと多く発信しなければならない。新しい時代の潮流を掴み、71年目にはワクワクする案件で溢れる会議の場になれば幸いである。
(東京都日本中国友好協会副理事長 永野 剛)
チャイナフェスティバル2019
14万人が興奮
9月21・22日の2日間、東京の代々木公園で4回目となった「チャイナフェスティバル2019」が開催された。
食・文化・芸術をテーマに、有名アーチストの歌や踊りの競演、100以上のグルメ、特産品ブースが楽しめ、秋晴れの空の下、2日間で14万人が来場した。
新華社を本紙編集部が訪問
8月30日、本紙編集部が東京・恵比寿にある新華通信社東京支局を訪ねた。中国国内のニュースの海外配信業務を行い新華社の名称で知られる同通信社。いち早く報道される豊富な記事や写真は魅力的で、本紙は読者の要望に応えるためにも、情報提供のより一層の協力を要請した。
応対に当たった劉春燕特派員は、協会の活動に敬意を表すとともに本紙「日本と中国」の役割を評価した。それを踏まえ、今後可能な限り支援したい旨、笑顔で話した。
(本紙編集部)
創立70年を記念して
友好会館を建設!
・岡山県日中友好協会
久方ぶりに西日本実務者交流会議に参加した。2017年5月に血液のガン、悪性リンパ腫が発覚(ステージ4)。悪戦苦闘したが今は病院も退院し元気いっぱい。日々、仕事を含め日中友好活動などが楽しく、ありがたい気持ちでいる。今後ともご指導ください。
さて、岡山県日中友好協会も創立70周年。これを機にわが県協会は自力で友好会館を建設する。敷地約120坪。延床面積は27坪超の木造平屋建。吉備中央町に造られた計画都市・吉備高原都市に来年5月オープンを目指している。名称は「岡山県日中友好会館」(仮称)。県中央部に位置し岡山空港にも近い。
この話を西日本実務者会議の場で述べたところやんやの喝采を浴びた。西堀専務理事や大藪常務理事もとても喜んでくださり、「日本と中国」紙上で報告したらいいではないかということになった。
ここ岡山では党派など超えて、日中友好に取り組んでいる。協会初代理事長の内山完造氏、第2代会長・黒田寿男氏もともに岡山出身だ。
常に薄氷の上を歩むと心得て油断と慢心を起こすことなく生涯修行でいく。そして岡山は自らの殻を破って限りなき前進を誓う。費用やその捻出方法などここでは明らかにしないが、友好会館建設に興味を持たれたみなさん、岡山にどうぞお越しください!
(会長 景山貢明)
「第54回日中友好キャンプ」
&体育総局長白馬訪問
・長野県日中友好協会
長野県日中友好協会青年委員会(金井華恵委員長)と女性委員会(宮沢信代委員長)は7月13・14日に長野市の戸隠キャンプ場で第54回日中友好キャンプを開催した。国際交流員、語学研修生、友好協会会員など70人が参加し、楽しい2日間を過ごした。パワースポットとして大勢の観光客が訪れる戸隠神社奥社にほど近い場所。
赤、青、黄、黒、緑のバンダナを目印に5つの班に分かれて活動開始。長野こども凧揚げ実行委員の黒井昭さんご夫妻らの指導で凧作り。
思い思いの絵を描いて子供たちは大喜び、大人も真剣な表情で、凧が完成すると凧揚げに興じた。夕食はバーベキュー。炭火おこしに苦労しながらも、準備が整ったところで乾杯! 突然の雨に見舞われながらも屋根の下、運命共同体的雰囲気の中で味わう焼き肉、焼き魚、焼きそばの味は格別だった。
長野からもう一つ話題を。中国国家体育総局の苟仲文局長(中国オリンピック委員会主席)一行10人が7月23日に白馬村を訪れ、長野県や白馬村、県スキー連盟、県日中友好協会ら関係者と交流した。苟局長は温かい歓迎に感謝し、「1980年以来、みなさんは多くのスキー機材を送り、訓練隊を受け入れ中国のスキー発展に大きな貢献をされた。中国の冬のスポーツの発展は長野の支援と切り離せない。冬季五輪の開催地である長野県から学び2022年の北京冬季五輪の成功を目指したい」と述べた。
高波謙二県日中会長も長野県が東京五輪に向けて中国を相手国としたホストタウン事業に取り組んでいることを紹介した。一行はラージヒルのジャンプ台で訓練中の選手の見事な飛行に拍手を送った。
続いてスノーパークに移動しローラースキー(クロスカントリーの夏の練習法)で汗を流す選手に大きな声援を送り、短時間だったが交流の実を上げることができ感謝しますとの言葉を残し白馬を離れた。
(理事長 布施正幸)
女性委も「以民促官」精神で
・和歌山県日中友好協会
協会女性委員会関西ブロック会議を9月7日、和歌山市「四季の味ちひろ」にて開催した。日中友好協会のモットー「民をもって官を促す」をもとに、天の半分を支える女性たちの集まりは近畿2府5県の持ち回りで、今年は和歌山県で開催となった。
大阪府7人、京都府4人、兵庫県2人、奈良県2人、和歌山県7人、計22人の参加で大変盛り上がった。各府県の1年の活動報告の後、今後の取り組み、開催イベントを紹介し、問題点について意見交換した。どの協会も抱える悩みとして、会員の高齢化と若者の参加減少。組織・財政を強化するためにも会員増加と青年層への拡大運動を積極的に進めていくことを話し合った。
報道に左右されず、先人の話を聞き、自分自身の目で中国を認識し、若者世代に日中友好活動の必要性を伝達していくことも確認した。
9月というのに真夏並みの暑さの中での開催だったが、和気あいあいとした、有意義で楽しい会となった。来年担当は兵庫県。大西代表から11月に神戸市・南京町での開催告知があり、再会を約した。
(津田美起子)
友好留学生交流会、
和やかに
・福岡市日中友好協会
「2019年日中友好留学生交流会」(共催:福岡市日中友好協会・中国留学生学友会・福岡市教職員組合)が、9月15日、福岡市教育会館で開かれた。これまで5回の交流会を総領事館で開催していたが、今回は初めて福岡市教育会館で開催、残暑が厳しい中、中国留学生学友会や福岡市日中友好協会員、福岡市教職員組合・青年部など約50人が参加して盛大に行われた。
今年度から会長に就任した落石俊則市議会議員が挨拶。中国駐福岡総領事館からの来賓は宋璐、李冶領事。代表して李冶領事が9月から赴任した旨と激励の挨拶を行った。
山口裕之・市日中副会長の進行で交流会が始まり①アイスブレーキング(出会いを作るゲーム)、②グループ意見交流(日本での就職、日本人との付き合い方やマナー)を行った。次に、大賀和男理事長の音頭で、会食と懇談に移り、日本、中国から合奏や歌の出し物で大いに盛り上がった。
(会長 中村元氣)
留学生とスイカ割り
・秋田県日中友好協会
秋田県内在住の中国人留学生らとの交流行事「海に親しむ会」が7月27日、秋田市の下浜海水浴場で開かれ、スイカ割りやボール遊びで親睦を深めた。県日中友好協会女性委員会(石黒かほる会長)と秋田地区日中友好協会(小木田喜美雄会長)が毎年開催。両会会員と秋田大、県立大の留学生や中国出身の国際交流員、家族など約40人が参加した。
当日は快晴。佐藤惣良理事長が事故防止を呼びかけ、開会した。参加者は談笑しながら食事をし、浜辺に出てからは留学生らが木刀を手に持ってスイカ割りに挑戦。日本語と中国語が入り交じった掛け声が飛ぶ中、別方向に進んだり、的を外すと笑いが起き、見事にたたき割ると歓声が上がった。
昨年12月から県国際交流協会の国際交流推進員として勤務している佐藤由迪さん(遼寧省出身)は「こんなに楽しい行事に参加できて感激。初めて見るスイカ割りはとても面白かった」と笑顔で話した。県立大大学院3年の劉暁芳さん(河南省出身)は「秋田に来て3年目になる。いろいろな体験ができて嬉しい。9月のお茶の会にもまた参加したい」と語った。
(理事 古谷孝男)
中国の芸術家の卵たち
芸大で日本文化を学ぶ
・神奈川県日中友好協会
芸術家を志す上海の小中学生たち11人が8月25日から31日までの日程で来日した。一行は中国青少年芸術コンクール競技大会で優秀な成績を挙げたメンバーで、中華青少年聯合会(上海市)が派遣、神奈川県日中友好協会が受け入れをした。
26日は横浜隼人中学・高等学校を訪問。美術クラブの活動を見学したほか、ネイティブの教師による英語の授業に参加した。午後の交流会では、中国の子供たちがアニメ映像のアフレコや日本の歌を披露。お返しに浴衣を着せてもらうと会場は笑顔であふれた。
27日は神奈川新聞社とテレビ神奈川を訪問。県日中会長の並木裕之神奈川新聞社長から歓迎の言葉と、全員に「日中友好交流使者章」が授与された。新聞が
完成するまでの説明と編集も体験。テレビ神奈川では生放送の中継を見学した。
29日は東京芸術大学を訪問。パイプオルガンの練習や指揮法の授業風景を見学し、また能楽ホールで能の説明を受けた。このほか国立博物館の見学、横浜球場での野球観戦など、子供たちにとって楽しい、内容の濃い6泊7日の日本訪問となった。
(神奈川県日中 三浦 修)
「歇后語」を楽しむ
・宮城県日中友好協会
宮城県日中友好協会では、9月8日、仙台国際センター研修室にて「中国語の洒落言葉(歇后語)を日本語で楽しもう」を開催した。歇后語は掛詞。講師は東北大学博士課程在学中の留学生、羅漢さん。一般、日中会員計12名が参加した。
第30回西施まつり行われる
・秋田県 にかほ市日中友好協会
俳人松尾芭蕉が「象潟や 雨に西施が ねぶの花」と詠んだ中国四大美女の一人、西施にちなんだ「第30回西施まつり」が8月1日秋田県にかほ市象潟町の道の駅・象潟「ねむの丘」ふれあい広場で開催された。にかほ市日中友好協会(三浦彬会長)の創立30周年記念の式典も行われた。
にかほ市国際交流協会の主催。三浦会長が西施まつりの由来を述べ「芭蕉が象潟に到着したのは、新暦では8月1日だったので毎年この日の行事を続けてきた」と話した。芭蕉は翌2日に小雨の中、蚶満寺を訪ねたと言われている。
雨に打たれる花を西施に例えて詠んだのが縁で、にかほ市は1990年から、西施の古里とされる浙江省諸曁市と交流している。
まつりが開始すると、中国風の衣装を身に着けた仁賀保高校1年の竹内美礼さんと長谷川実広さんが広場に設置された西施像に献花。音楽に合わせて白い布をたなびかせて優雅な舞を奉納した。
(秋田県日中理事 古谷孝男)
四平市に訪中団
友好都市締結25年を記念
・長野県 須坂市日中友好協会
長野県須坂市と須坂市日中友好協会は8月10から14日までの4泊5日の日程で、中学生8人を含む総勢23人で訪中した。西堀正司協会専務理事が団長、三木正夫須坂市長が総団長を務めた。主な訪問地は大連市、吉林省四平市、長春市、北京市。
今回の訪中団は須坂市と四平市の友好都市締結25周年を記念して組織された。8人の中学生は須坂市立の中学4校から各2人が参加したもので、これを500人を超える四平市内の中学生が夏休み返上で出迎え、楽器演奏などで歓迎した。
北京に移動した一行は故宮のほか万里の長城でも普段はなかなか行く機会のない「慕田峪」を参観。雄大な景観に誰もが感動した。
今年12月には四平市長が須坂市を訪れる予定になっており、両市の友好がますます盛んになる。
鹿児島県日中友好協会・海江田会長より
鹿児島県日中友好協会の海江田順三郎会長から、様々な思いが詰まった一文が寄せられた。今年91歳を迎えた海江田さん。45年間にわたって日中友好を担ってきた活動を紹介する。
鹿児島市と湖南省の長沙市が1982年に友好都市締結したのを機に、
一般市民で組織された鹿児島市日中友好協会が設立された。県内では同じ頃、薩摩川内市と奄美大島の名瀬市にも日中友好協会が誕生した。鹿児島県日中友好協会は当時の駐日中国大使である王毅氏(現中国外務部長)の鹿児島講演時に、伊藤祐一郎知事を名誉会長に主に経済界のメンバーで2002年に発足。
鹿児島市日中の特色ある事業としては、辛亥革命で孫文に次ぐ領袖であった長沙市の黄興(こうこう)が、日本留学中の1909年(明治42年)に盟友・宮崎滔天の案内で鹿児島市を訪れ、明治維新の英傑として傾倒やまなかった西郷南洲(隆盛)の墓地を参拝、南洲思慕の感懐を詩に賦した事績を「黄興先生南洲墓地参拝之碑」として2007年建立した。
また、鹿児島県日中は、中国残留孤児会の要請を受けて、13年に「中国養父母感謝之碑」を鹿児島市の公園に建立した。李天然福岡総領事(当時)が来席された除幕式が中国の新聞やネットでも報道され反響を呼んだ。毎年の清明節には日中会員、残留孤児家族、中国留学生が養父母感謝之碑の前に集まり、花を供えて感謝の集いを行っている。
県市両日中では学生部会を運営し鹿児島大学の中国留学生を中心に中国語教室、ハイキング、建国祭、忘年会など交流を重ねてきたが、日本人学生の参加増が課題である。女性部会は女性委員会に改組し、会員を増加して全国女性委員会への加盟を準備中である。九州ブロックでは近年、4回連続して訪中し、中日友好協会を表敬訪問したが。本年も10月に予定されている。