各地の日中交流ニュース

2022年12月1日号 /

日中国交正常化50周年記念
「日中友好交流の夕べ」を開催

・北海道 旭川日中友好協会

11月8日、旭川日中友好協会は大雪クリスタルホールで「日中友好交流の夕べ」を開催し、約300名の市民が記念講演とコンサートを楽しんだ。

第1部では、元ザ・タイガースのメンバーで、その後中国留学をし中国語教育や中国との文化・音楽交流など多彩な活動を続ける瞳みのるさんが、時々中国語と日本語でヒット曲「花の首飾り」などを歌いながら「中国語・中国とのつながり」と題して講演した。

第2部では、中国内モンゴル自治区出身(東川町在住)のアスハンさんが、モンゴル民族の伝統楽器・馬頭琴で「万馬の疾走」などを演奏し、伝統的な歌唱法ホーミーも披露した。続いて、津軽三味線で日本を代表する演奏家の菅野優斗さんが「津軽じょんがら節」などの民謡を演奏した。若手演奏家の二人は合奏もし、ユーモアを交えた二人のやり取りで聴衆を沸かしながら演奏した。アンコールには瞳みのるさんも再登場し、馬頭琴、津軽三味線の合奏に合わせて歌った。

(会長 鳴海良司)

【上】(左から)馬頭琴:アスハンさん、歌:瞳みのるさん、津軽三味線:菅野優斗さん

全日本中国語スピーチコンテスト 東北大会

・宮城県日中友好協会

宮城県日中友好協会(佐々木謙会長)は、青年委員会主管のもと10月30日、日立システムズホール仙台で全日本中国語スピーチコンテスト東北大会を開催した。

昨年同様密を避け開会式を2回に分け、会場も2会場使用しての大会運営となった。青年委員会メンバーの他、毎週行っている日本語中国語オンライン交流会に参加している留学生や日本人学習者がスタッフとして参加。24名のスタッフ中(日本人10名、中国人14名)15名が大会初参加であった。Zoomでの打ち合わせで役割分担を決めWeChatで情報共有し当日に臨んだ。大会当日、オンラインで何度も顔を合わせていながら実際に会うのは初めてという仲間との出会いがとても新鮮だった。

開会式に先立ち今年11回目の大会参加となる坂田正雄さん(93歳)の誕生日を祝って花束をプレゼントした。

初参加のスタッフも役割を自覚し主体的に動き大会は無事終了。審査員から学習者のレベルが上がってきているという感想が聞かれた。

初参加のスタッフから「日本の若い方や年配の方がこんなに一生懸命中国語を学んでいることに驚いた。本当に意義のある大会だと感じた。」「スタッフとして今回初めて参加したが、来年は出場者として参加したい。」などの感想が聞かれた。日中双方の想いを同じくする仲間が力を合わせて大会の運営が出来たことに大きな喜びと誇りを感じた。青年委員会新加入メンバーも現れとても意義のある大会となった。

(青年委員会 事務局長 吉澤千明)

 

「国交正常化50周年記念友好大会 in 福島」
~つなごう平和と友好Next50へ!~ 

・福島県日中友好協会

1972年9月29日に「日中共同声明」が調印されてから本年は50周年という記念すべき年に当たります。福島県日本中国友好協会は中華人民共和国駐新潟総領事館の共催のもと、11月3日に、会津若松市で記念大会を開催しました。(公社)日中友好協会からは橋本逸男副会長が出席しました。大会は「国交正常化50周年記念友好大会in福島」をテーマに、「つなごう平和と友好Next50へ!」をサブテーマとしています。

まず、主催者を代表して福島県日本中国友好協会遠藤久会長は、自らの詩吟活動や郷土史研究の事例を披露して、日本人は日常生活で無意識に交流活動を行っており、中国との関係の深さを自覚することが大切な友好活動であることを強調しました。

続いて中華人民共和国駐新潟総領事館孫大剛総領事による記念講演が行われました。総領事は、50年の友好活動の歴史を踏まえながら、さらなる友好活動の大切さを強調されました。

さらに福島県内7つの友好協会の代表者が登壇して、パネルデスカッションが行われました。その中で多くの協会から、今の活動を承継してくれる次世代の後継者不足の問題が提起されました。

こうした中、地元会津若松市日中友好協会からは、会場の参加者で一番若い男性を協会の幹部候補生として指名して、本人から承諾をいただく場面もあり、実りのある大会となりました。

(会長 遠藤 久)

 

袋田の滝・竜神大吊橋・リンゴ狩り・イエローポートの
日帰り旅行

・千葉県 佐倉市日中友好協会

佐倉市日中友好協会は10月26日、茨城県へ親睦日帰り旅行を実施しました。会員・会友満席55名。この日は晴天暖かい1日で、千葉県に1台しかない、2階建てバスで3年ぶりの実施。車中、長谷川会長から、日帰り旅行への参加の御礼。佐倉日中の活動をご理解・ご協力いただいている御礼。本年は日中国交正常化50周年の節目の年、今後も草の根交流を目指すとの挨拶。参加者全員の自己紹介。

一路、リンゴ狩り食べ放題へ。昼食をはさみ、袋田の滝へ、紅葉始まる日本3名瀑の1つ勇壮な滝音を背に全員で写真撮る。皆さんから感嘆の声あがる。次は竜神大吊橋へ、日本最大級の橋長さが375メートル、橋下はダム湖大変な高さだった。足の震えを気にしながら橋を渡り写真撮る。最後は大洗おさかな市場での買い物を済ませ帰路へ。バスの中はお土産でいっぱい、声を弾ませ話す人、歌を独唱する人、一日楽しかった等々声が上がっていました。

今回4人の中国の方も参加、新たに3人が佐倉日中の会員となられました。

コロナ禍のため3年ぶりの旅行でしたが、充分親睦交流ができた日帰り旅行となりました。

(会長 長谷川 稔)

 

日中国交正常化50周年記念
「響け大空へ」 コンサート&交流 in 飯田家
上海会場とオンラインで開催

・神奈川県 横浜日中友好協会

10月10日(月祝)飯田家(会長宅)庭園で、心配していた雨も上がり60名余の参加で開催した。

飯田会長の歓迎の挨拶の後、このコンサートをプロデュースした王 銀鈴さんの進行で開演した。琵琶奏者劉丹さんと二胡奏者シュウミンさんの二重奏、日中双方の曲目のソロ演奏、その音色に聞き入った。

収穫の情景を表現した朱自清(作)の「秋天」の朗読に続いて、バスバリトン歌手鐘皓さんによる草原情歌、荒城の月など広々とした庭園にその歌声が澄み渡った。最後に「赤とんぼ」を会場の皆さんと一緒に合唱し、上海会場へと引き継いだ。

上海会場(上海市留学人員の家)からは、オンラインで上海市欧米同学会留日分会の臧广陵分会会長の挨拶、日本語と中国語での詩の朗読、これまでに相互交流のある皆さんらによる「友諠地久天長(友好は永遠なり)」の合唱で更なる友好交流の表明があった。

最後に留日分会の呉霞琴副会長から上海での再会と交流を歓迎する挨拶があった。

庭園での昼食、交流の後、飯田会長から飯田家の歴史、表門や母家(横浜市指定文化財)に関するトークがあり、盛会のうちに日中国交正常化50周年記念事業を終えた。

(事務局長 小松崎勇)

【上】庭園で昼食、交流 【左下】(左から)シュウミンさん・劉丹さん・ 鐘皓さん 【右下】友諠地久天長の合唱・上海会場から

 

日中国交正常化50周年記念し講演会
西園寺一晃氏を講師に開催

・長野県日中友好協会

長野県日中友好協会・県日中経済交流促進協議会・県日中学術交流委員会は10月18日、日中国交正常化50周年記念講演会を長野市内のホテル犀北館で開きました。講演会には各界来賓や県内各地から120名が出席。西園寺一晃先生(元朝日新聞総合研究センター主任研究員)を講師に迎え「米中対立激化の中での日中関係・その現状と展望」と題して記念講演が行われ、グローバルな視点から日中関係のおかれている現状と課題を考える有意義な機会となりました。

布施正幸・県日中副会長が主催者を代表し「日中関係は経済交流が史上最高を記録している一方、コロナ禍や尖閣問題、米対立の激化などの困難にぶつかっている。米中対立の激化の波に巻き込まれて両国関係が破たんしないよう英知を集めて進むことが大切と思う」とあいさつしました。

阿部守一県知事の祝賀メッセージが小林一洋県国際交流課長から披露されました。知事は「日中は一衣帯水の隣国同士であり、文化的、歴史的、経済的にもお互いなくてはならない関係にある。来年は長野県と河北省との友好提携40周年の節目を迎える。これまで積み重ねてきた両県省の交流の更なる深化を図っていきたい」と述べています。

西園寺先生は米中対立の現状を解説し、今後も対立は続くが米中戦争は起こらないと述べました。また日中国交正常化に至った経過を振り返り、民間交流の積み重ねがありLT貿易など経済界の期待が大きかったと指摘。米中対立が激化する中「日本は米中のはざまでどんなスタンスをとるか。双方とバランスの取れた関係を構築しないといけない」と述べました。

講演後、西園寺先生を囲んで、土屋龍一郎氏(元日本青年会議所会頭)と大月良則氏(県日中理事長・元県国際担当部長)をパネラーにパネルディスカッションが行われました。

◎土屋氏は日本青年会議所会頭を務めていた当時を振り返り「教科書問題の最中に訪中したが、街頭で中国の人々と心通う交流ができた。政治的なギクシャクがあっても国民同士交流を深めていくことが大切」と語りました。

◎大月氏は「〝飲水思源〟の言葉を大切に、先達の思いを継いで理事長の役割を果たしていきたい。2010年の阿部知事の訪中に秘書課長として同行したが、尖閣問題直後で難しい時期であったが、全国の知事に先駆けて訪中したことは良かった」と語りました。

◎西園寺先生は「日中関係は世界的に見ても特異なものがある。民間交流が先行し、その後、国交正常化が実現した。ニクソン大統領の訪中前後の動き、中国の国連復帰など外的要因も大きかったが、国交正常化には内的要因があった。石橋湛山、松村健三、高碕達之介氏ら多くの先達が民間交流の積み上げ方式で努力した。財界の期待も大変大きかった。当時と現在の困難を比べると当時の方がもっと厳しかった」と述べました。

◎西堀正司・県日中副会長(コーディネーター):明治維新から敗戦まで77年、敗戦から本年まで77年になる。未来に向けての77年は2099年で21世紀末となる。日本と中国の付き合いの過去・現在・未来を顧みて、今を生きる我々は日中両国の平和友好のために努力していきたい。

(長野県日中友好協会 編集部)

第2回京都府スピコン開催!

・京都府日中友好協会

10月30日に長岡京市の中央公民館市民ホールに於いて、第2回京都府中国語スピーチコンテストを開催しました。

昨年を上回る方に参加頂き、高校生以下の《朗読の部》に3名、《スピーチの部》に1名、大学生の《朗読の部》に15名、《スピーチの部》に6名、一般の《朗読の部》に2名、《スピーチの部》に1名の方が中国語の腕前を披露しました。

また中国語により多くの人に親しんでもらいたいとの想いから、京都府日中独自の取り組みとして出場者本人の国籍、両親の母語、中国語圏の滞在期間や留学有無などを問わず参加できる特別部門《高校生以下朗読の部》と《大学生以上スピーチの部》を設け、高校生以下朗読の部に6名、大学生以上スピーチの部に1名の方に参加頂きました。合計35名もの方に参加頂き盛況の内に開催することができました。

内容も大変レベルが高く、審査員の講評からも順位をつけるのに大変苦慮されたことが伝わってきました。

日本と中国の次世代の友好関係を紡ぐ人財の育成につながったと期待されます。

(理事 堤 淳太)

 

国交正常化50周年記念
「日中友好記念碑の顕彰式典」を開催

・和歌山県日中友好協会

10月1日、和歌山県日本中国友好協会(中拓哉会長)は、恒例の「中日友好 千年萬年」の記念碑(※)の顕彰式典を、薛剣駐大阪中国総領事をお迎えし日中国交正常化50周年記念として紀三井寺境内で開催いたしました。

※1978年の日中平和友好条約締結を記念し、翌79年春に、両国友好に尽力された廖承志・中日友好協会初代会長から「中日友好千年萬年」と揮毫(きごう)した書が当和歌山県日本中国友好協会に贈られました。このことを後世に伝えようと当会では寄付を募り、唐の時代に中国から日本に来られた為光上人が開かれた紀三井寺の境内に79年10月記念碑を建立させていただきました。以降、毎年10月に顕彰式典を行っています。

顕彰式典には、和歌山県選出の国会議員の代理の方や、県会議員、和歌山市会議員、「和歌山県国際課の方、そして当協会の会員ら約20人が集まました。

式典では、主催者の中会長から「先輩方が『民をもって官を促す』の精神でやってきた。その苦労に私たちも負けず次の50年に向け、頑張ってまいりたい」との挨拶があり、ご来賓の薛総領事からは「両国の先輩たちの中日友好への強い意志を受け継ぎ、碑に書いてあるように『千年萬年』とつなげていかなければいけない」と力の入った挨拶がありました。

記念碑前でご挨拶される薛剣駐大阪中国総領事

続いて、紀三井寺の前田泰道管主からは、記念碑について、「扉が開いて、翼を持って羽ばたいていくようなデザイン」だと話され「今、バリアフリーが大切です。物理的なバリア、心のバリアを無くしていきましょう」との挨拶がありました。

引き続き、祝電紹介の後、参加者は一人ひとり記念碑に拝礼し、参加者全員で記念撮影をして、さらなる両国の友好関係が発展していくことを誓い合いました。

式典後、参加者は、この4月に、薛総領事や中会長らが境内の「大千手十一面観世音菩薩像」仏殿の東側に、日中国交正常化50周年記念として植樹した白皮松を鑑賞、しっかりと根付いていることを観て喜びを新たにしました。

薛総領事は「50年後には大木になっているのでは」と笑顔で話してくれました。

(事務局次長 高垣晴夫)

記念碑の前で記念撮影

日中国交正常化50周年
記念講演会を開催

・岡山県日中友好協会

岡山県日中友好協会は10月1日、九州国立博物館館長の島谷弘幸先生を講師にお招きし、250名を超える参加者で日中国交正常化50周年記念講演会を開催しました。会は開会あいさつ、来賓あいさつののち、2018年11月に岡山市で開催された第16回日中友好交流会議で上映されたビデオ「日中友好新時代へ ~岡山と中国~」で、日中友好に尽力した郷土の先人を顕彰しました。

講師の島谷館長も岡山県出身で、「書から見た日中の文化交流と九州国立博物館」と題した講演では、中国から漢字が伝わり、形を変えながらまた時間をかけながら、文化人や帰化した人の手で日本に定着していった歴史についてお話しされました。また中国の博物館との提携や協力によって、双方の文物の展覧会の開催や研究による交流がおこなわれてきたことも紹介されました。

岡山県日中友好協会は、中国との友好都市を締結している県と7つの市と町では、日中友好協会が友好交流の先頭にとの考えから、日中国交正常化50周年を機にあらたに和気町・吉備中央町・浅口市に地区協会設立を決定しました。また備前市・総社市・井原市・赤磐市・瀬戸内市にも地区協会を設立し、これからの50年に向けて友好の絆をより強固にしていきます。

(事務局長 横見幸憲)

原田健明会長(中央)による開会あいさつと 司会の頓宮美津子理事(左)

「日中国交正常化50周年」記念公演
“変面”ショーなどを楽しむ

・高知県日中友好協会

NPO高知県日中友好協会主催、高知県共催の「日中国交正常化50周年」記念公演が10月9日に高知会館で開催され、約100名の市民の皆さんが“変面”、中国映画の鑑賞などを楽しみました。

主催者を代表して岡林俊司会長が、“この50年政治レベル・国家間ではいろいろあったが両国は民と民がしっかり手をつないで、今日を迎えた、これからも民間交流、若者の交流を深めて日中友好を促進していこう”と挨拶しました。

また、濱田省司高知県知事の代理で出席した岡村昭一高知県文化スポーツ部長が高知県と安徽省との友好交流について述べ、“コロナ禍が収束した後、交流を促進したい”と挨拶しました。
また、青年代表の高知工科大学大学院生の入江康平さんが、日中友好大学生訪中団に参加したことが“日中友好活動のきっかけになった”と挨拶し、高知県日中友好中国帰国者の会代表の中野ミツヨさんが残留孤児としての経験を語り、“私の祖国は日本と中国です、だから両国は仲良くしてほしい”と述べると大きな拍手がありました。

続いて中国駐大阪総領事館の薛剣総領事様からの祝辞を紹介した後、待望の「中国伝統芸能セミナー・変面ショー」があり、安徽省出身の王文強さんが演じる“変面”に皆さん感嘆し、特に子供たちはびっくりしていました。次に、日中双方の大学生の出し物があり、高知県日中交流大学生学友会は“はし拳”、日中友好中国留学生学友会は“撃鼓伝花”を披露し、拍手を浴びていました。その後、中国映画「こんにちは、私のお母さん」を鑑賞し記念公演は終わりました。

なお、会場では大阪総領事館提供の「50年の写真」や高知県・安徽省の交流の展示、中国茶の販売、また王文強さんを交えての懇親交流会も行い“楽しい1日”となりました。

(会長 岡林 俊司)

【上】挨拶する岡林会長 【下2枚】王文強さんの“変面”に皆さん感嘆

 

日中国交正常化50周年記念 ―チャイナフェスティバル in 九州―
『私と中国』作文&スピーチコンクール」を盛会裏に開催‼

・福岡県日中友好協会

「日中国交正常化50周年記念」の後半期の取り組みとして、「チャイナフェスティバルin九州―『私と中国』作文&スピーチコンクール」を10月30日(日)、中国駐福岡総領事館で開催しました。九州各県の(福岡、佐賀、熊本、大分、鹿児島)日中友好協会の役員・会員や出演者、応援者を含めて約40人が集い、盛会裏に行われました。これは、福岡県日中友好協会主催で、中国駐福岡総領事館、九州各県日中友好協会の後援で行われたもので、1月25日に行った前半期の「国交正常化50周年を祝う九州日中友好大会」に続く九州日中友好協会の記念行事でした。今回が初めての開催でしたが、総領事館や九州各県日中友好協会の全面的な協力で開催することができました。

「作文の部」(一般・学生、28人応募)は、事前の「書類審査」で入選者を決定しました。当日は、「スピーチの部」(日本語・中国語)のみが行われ、県予選で推薦された日本語3人、中国語6人の応募者が「私と中国」を中心としたテーマで、日頃培った語学力を駆使して思いを述べました。

終了後、審査員はその結果を「いずれも甲乙つけがたい、実力が接近していて大変苦労しました」と述べ、表彰式に移りました。式は、先に決定した「作文の部」も併せて、4種目の1位4人には「中国駐福岡総領事賞」を律桂軍総領事が、2位の4人には「九州日中友好協会賞」を、3位の4人には「福岡県日中友好協会会長賞」を、中村誠治審査副委員長が授与しました。

最後に、受賞者の代表が「大変嬉しいです」「今後も日中友好を頑張ります」等の感想を述べて会を終了しました。

(事務局長 中村元氣)