中国女子バレーボールチーム、
ワールドカップ初優勝40周年に当たって
・大阪府日中友好協会
中国駐大阪総領事館は、1981年に開催されたバレーボール・ワールドカップで、中国女子チームが大阪で初優勝した時の生き証人を探されていました。事務局から大阪府日中友好協会の副会長である大薮二朗さん(40年前は府日中の事務局長)をご紹介したところ、話は速やかに進み、大薮さんは急遽CCTVクルーの取材を受けることになりました。
当時大薮事務局長は裏方の仕事で走り回っていて、また40年前の古い話でもあり、旧大阪府立体育館で行われた日中最終戦については、記憶はかなり曖昧でした。しかし、大阪華僑総会の元会長で当時応援団のにわか団長を担当された金翬さんや、中国女子チームに付きっきりで通訳を担当された徳地立人さんをご紹介されたことから突破口が見つかり、40周年記念ビデオは予定通り無事完成されました。
このビデオは昨年10月16日の初優勝40周年記念日にオンラインで公開され、中国国内で好評を博しました。今もユーチューブの中国駐大阪総領事館チャンネルを通じて字幕付きでご覧いただけます。現在では当時の熱気をそのまま感じることは難しいですが、鞏俐が郎平役を演じた映画《奪冠》(中国女子バレー)や今年1月日本で封切られる映画《你好,李煥英》(こんにちは、私のお母さん)などを見ると、当時の中国国内での熱狂の様子が垣間見られます。(事務局長 松本 卓美)
紹興酒試飲会開催
・神奈川県日中友好協会 青年学生部会(チャイ華)
12月4日、神奈川県日中友好協会に古越龍山より東京事務所の夏所長、林所長補佐、新生交易(株)より佐藤部長の3名をお招きして、紹興酒についての歴史、製法、分類等の説明と試飲を行った。紹興酒は奥深く、文人に好まれたお酒であり、時間が経つほどに美味しくなる老酒という呼び名もある。そんな紹興酒にも元紅酒、加飯酒、善醸酒などの分類があり、今後、日本でも発売される古越龍山の天純、善醸仕込み、エクストラスムーズなどの商品を味わい、紹興酒の深みを体感した。参加者は仕込みの過程で使われる水の代わりに元紅酒を使うことにより甘くなる善醸酒を好む声が多く、夏所長は参考にしたいと話した。
神奈川県日中友好協会青年学生部会(チャイ華)と実現した本企画は中国企業との交流も深めることで活動の場を広げ、これまで以上に日中友好に尽力していく。試飲会では紹興酒への理解を大いに深めた。(部会長 稲垣信)
藤沢市昆明市友好都市提携40周年記念誌発行
・神奈川県湘南日中友好協会
藤沢市と雲南省昆明市は1981年11月に友好都市提携を行ってから今年で40周年を迎えました。友好都市提携の絆となったのは、「義勇軍行進曲」を作曲した音楽家・聶耳(ニエアル)です。聶耳は1935年4月に来日し最新の音楽や演劇の吸収に努めていましたが、友人とともに避暑に訪れた藤沢市鵠沼海岸で遊泳中に不幸にも遭難しました。23歳という前途有為な青年音楽家の余りにも短い人生でした。1949年の中華人民共和国建国に際し「義勇軍行進曲」が国歌として決定されたことを受け、聶耳の死を悼む藤沢市民により記念碑建設の運動がおこり、1954年に聶耳記念碑が完成しました。除幕式は新中国を代表して来日した中国紅十字会の李徳全会長も参列して行われました。それから今日まで藤沢市民の手により大切に守られ、毎年聶耳の命日である7月17日に開催される碑前祭には藤沢市、日中関係団体、中国大使館をはじめ多くの市民が参加しています。
藤沢市と昆明市の友好都市提携40周年記念事業については、本来であれば両市の市民訪問団による相互交流や日中文化展なども行われるところでしたが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によってそれらは叶いませんでした。それらに代わるものとして、オンラインによる両市長会談(11月5日)、医療交流、文化交流を行い、記念誌「友好40年の歩み」を発行しました。
この記念誌は、両市友好の絆となった聶耳の生涯、聶耳の来日と藤沢でのくらし、聶耳記念碑建設と経過、友好都市提携40年の歴史、から構成されています。500部印刷され、昆明市、中国大使館、日中関係団体、藤沢市の図書館、公民館などに配布されました。40周年という大きな節目の年に、散逸しがちな資料を収集し友好40年の歴史としてまとめ市民に提供できることは、極めて大きな意義があるものと確信いたします。両市市民の友情、友愛、友好が子々孫々受け継がれていくことを祈念します。(理事長 上野篤志)