再編成40周年記念
式典・講演会・懇親会を開催
・福井県日中友好協会
福井県日中友好協会は再編成40周年記念式典・講演会・懇親会を8月12日に市内にて開催した。記念式典では酒井哲夫会長の挨拶の後、40周年の軌跡の報告をした。続いて前浙江省人民対外友好協会 阮忠訓常務副会長以下8人に友好貢献賞として盾と記念品を贈った。
講演会に移ると現浙江省人民対外友好協会の陳艶勤専職副会長が「日中友好新時代」と題して行った。陳副会長は福井に在住していた関係で、「福井は第2の古里で多くの友人がおり交流も深めた。国際情勢や経済状況など背景は様々に変わるが人と人の交流は変わらない。今後も民間交流を更に続けていくことが大事」と訴えた。
引き続き栗田幸雄元福井県知事が「福井県と浙江省との友好関係」と題して講演を行い、25年前の友好県省締結の苦労話を話した。また、本年より青年委員会を設置し若者の交流を深めていくことになり、その決意を発表した。懇親会は約100名が参加し40周年を盛大に祝った。
第41回総会開かれる
親睦を深め、地域に貢献
・須賀川市日中友好協会
須賀川市日中友好協会第41回総会が、7月26日、須賀川市民交流センター(tette)で開催された。水野正男会長の挨拶に続き、永年会員の表彰があった。来賓の橋本克也須賀川市長、大蔵雅志須賀川議会副議長、深谷幸弘県協会顧問から祝辞が述べられた。
議事は、2018年度活動報告(第15回洛陽訪中団、親睦交流の開催)、決算報告、会計監査が原案どおり承認された。
19年度活動方針では、文化・鑑賞の事業として東京国立博物館「三国志」観覧計画、すかがわ産業フェスティバルバザーの参加の推進などを提案し、予算案とともに原案どおり可決した。
最後に、諸課題について十分な協議をし、ともに知恵を出し合いながら、会員の拡大をはじめ、新たな時代に即応した協会運営に努めることを宣言し、総会は終了した。
(事務局長 菊地宗吉)
平和学習・広島の旅を実施
・北兵庫日中友好協会
北兵庫日中友好協会は7月28日から29日にかけ研修旅行を実施、会員9人が参加した。
早朝に兵庫県新温泉町を出発、一路広島県竹原市忠海へ。車を5時間走らせJR呉線忠海駅に到着。まず、「大久野島毒ガスの疑問」というテーマに沿って、毒ガス製造の体験者の方を講師に招き話を伺った。
毒ガス工場建設(1929年)の背景、労働内容、毒ガスの被害・加害について体験を通して知ることができた。ここで製造の毒ガスは、中国本土で使用しているし、遺棄毒ガスとしても数多く残されている。
午後は、忠海からフェリーにて大久野島(戦時中、地図から消された島)へ移動し、ボランティアガイドの説明を受け、猛暑の中、島内フィールドワーク。毒ガス資料館内を見学、毒ガス貯蔵庫跡、砲台跡など数多くの遺跡を見学した。島での訪問学習は、ほとんどの者が初めてで、戦争加害の歴史を持つ島について見聞を深めることができた。
大久野島から広島市へ移動。翌日は広島平和公園や広島城周辺を散策し、多くの戦争に関わる碑やリニューアルした広島平和記念資料館を見学。2日間の研修を通し、改めて「戦争によって私たちは被害者にも加害者にもされてしまう」ことを感じた。そして、今後の平和教育の指針を確認することができた。
(事務局長 山本和正)
「北海道の皆さん、お元気ですか?
今、中国大使館で働いています」
留学生学友会会長だった党志勝さん
・北海道日中友好協会
駐日中国大使館科学技術部に勤める党志勝2等書記官は、北海道での留学経験をもち、北海道中国人留学生学友会会長を務めたこともある。留学生時代には北海道日中友好協会と親しく交流し、花見やバス旅行などのイベントを通じて日本文化に理解を深めたという。そんな党さんがなぜ今、中国大使館にいるのか。本人に話を聞いた。 (本紙編集部)
中国甘粛省出身の党さんは子どもの頃からの動物好きが興じて、高校卒業後は大学で動物科学を学んだ。卒業後は中国農業科学院に勤め、獣医の資格も取っている。
日本との初めての接点は2003年。北海道の帯広畜産大学に約1カ月間滞在し、動物に寄生する寄生虫の日中共同研究を行った。この時、北海道大学の杉本千尋教授(獣医学博士)とも知り合う。日本の研究レベルの高さを実感し、「もっと日本で学びたい」と考えるようになった。杉本教授に共同研究への思いを伝えると、日本の文部科学省が行っていた日中交換留学制度に推薦してくれ、05年に申請が通った。翌年春から北海道大学大学院獣医科の博士課程に進む。研究対象は流行中の寄生虫「エキノコックス」だった。
奨学生のためアルバイトに忙しいわけではなく、そんな中で札幌の中国総領事館員から勧められたのが北海道中国人留学生学友会への参加だ。「困ったときには留学生同士で助け合える。中日友好にも貢献できる」と誘われた。同会は1979年の道内初の中国人留学生3人の受け入れを機に翌80年に設立。党さんは理事、副会長を経て会長を務めた。
道日中との思い出
北海道日中との思い出を聞くと、しきりに名前が出るのが現協会理事で当時の道日中理事長の古本英之さんだ。「日本語スピーチコンテストに出場した時に初めて知り合い、現在に至るまで感謝しきれないぐらいお世話になっています」
道日中や札幌日中友好協会の活動で花見や富良野のラベンダー畑ツアー、温泉巡りなどの行事を通じて協会員や日本人学生とふれ合うことは、日本の歴史や文化、習慣を学ぶ貴重な時間に。札幌日中の特別理事も務めた。
学友会会長として総領事館主催の春節祭を手伝った時、100を超える企業や友好団体の人々が交流する様子を見て、いつしか外交官への憧れが芽生えたという。「専門の研究とは別に、中日交流でも自分の力を発揮できないかと考えました」
2010年から鳥取大学農学部で日本予防医学協会と日本学術振興会の研究員として3年半学んだ。この間も、党さんは古本さんとは電話や手紙のやり取りを続け親交を温めたと話す。「道日中事務局次長の杉井恭子さんは鳥取にまで会いに来てくれました」
14年に帰国。上海にある中国疫病予防対策センター(CDC)に勤め寄生虫の研究を続けた。その後、中国科学技術省が日本駐在員を募集していると知ると、すぐに応募し、試験に合格した。「すごくうれしかったです」。辞令を待つこと数カ月。昨年7月に念願の中国大使館科学技術部に配属。ようやく夢が実現した。
現在の任務は、中国の理科系の大学生の訪日事業の調整役をはじめ、日中の研究機関の交流の橋渡し、中国国家衛生健康委員会の訪日団と日本の厚生労働省との政府間交流の調整など多岐にわたる。「毎日が忙しい」と話すその表情には充実感がうかがえた。「北海道での留学や研究員としての知識と経験をもっと活用して、中日友好に尽くしたい」
「北海道の皆さん、中国大使館で元気にやってます」。”北海道発”、留学が人生を変えた日中友好のケースとなっている。
徐福研究会が映画上映
主演は元AKB48板野さん
・神奈川県日中友好協会
映画「徐福~永遠の命を探して~」の上映会が7月27日、地球市民かながわプラザ映像ホール(横浜市栄区)で開催された。神奈川徐福研究会(田島孝子会長)が主催し、徐福愛好家や協会会員ら70人が鑑賞した。
元AKB48の板野友美さんが徐福の子孫である女子大生を演じ、中国の人気歌手で俳優の黄礼格さん演じる中国人留学生と徐福を巡る旅の中で愛情を育み、不老不死の仙薬とは何だったのかを知るという物語。上映会には韓国徐福文化研究協議会会長の禹珪日夫妻も出席し、「大変感動した。韓国でもぜひ作りたい」と語っていた。
(神奈川県日中 三浦修)
9月号にお約束した
地引網体験のレポートです!
・東金日中友好協会
千葉県・東金日中友好協会は7月20日、横芝光町木戸浜海岸で地引網を開催し、城西国際大学留学生学友会の学生21人と交流を深めた。
さらに第32回地区会議を開催。第31回訪中団の検討や千葉県日中友好協会役員推薦についての協議を行い、雨が降ることもなく充実の一日を過ごせた。
池袋で中国に出会う
~中国物産編~
・東京都日中友好協会
もし日本で一番中国に出会える場所はと聞かれたら即座に東京の池袋だと答える。
池袋には以前から中国料理、物産店含めいろいろあったが、近年さらに日本に住んでいる中国人の増加、留学生の増加、人の往来が頻発になっており池袋が異様な発展を遂げている。中国に行かなくても中国に出会える場所、それが池袋。今回は駅前から半径100メートル以内の場所にスポットを当てたい。
中国物産店が2つある。1つが「陽光城」。北口を出てすぐの場所にある。歩いていたら必ず見えるため、ご存じの方も多いと思う。陽光城の斜め向かいのビルの4階にあるのは「中国食料友誼商店」。ここはワンフロアーと場所も広く様々な中国の食料品が手に入る。夜に行くと仕事帰りや家族連れの中国人であふれており、とても活気に満ちている。もちろん活きのいい鮮魚も買える。
周りを見渡していると中国人しかいないため、正に中国にいるかのような錯覚を覚えるほど。私は中国に留学していた時に中国の食料品を買ってよく食べていた。このお店で「康師傅」のラーメンと中国のお菓子、調味料、お酒を頻繁に買っている。やはり中国の国民的人気のカップラーメン康師傅の「紅焼牛肉麺」は外せない。人気があるため在庫が即なくなってしまい「老板」にいつ入荷するのか聞いたほど。中国の食料品を食べているととても懐かしく、中国にいた時に戻った感覚にになる。一度足を運んでほしい。
(新福信彦)
第7回全国禹王サミット
10月19・20日に岐阜県海津市で開催
みなさんは、禹王をご存じだろうか。禹は別名を「文命」「大禹」「夏禹」「戒禹」とも言い、中国最古の夏王朝(紀元前21世紀~紀元前16世紀頃)を開いたとされる。黄河流域の洪水を治めるため、13年にわたり自ら山野を切り開き水路を開削、治水工事を完遂させたという逸話もある。その功が認められて王となり、儒教における聖賢の一人にも数えられる。治水の神として崇拝され、日本でも水害多発地域を中心に禹王を祀る石碑や祭礼が各地に伝わる。
禹王の伝承や史跡の調査を進めている「治水神・禹王研究会」では、その一環として「全国禹王サミット」を神奈川県開成町を皮切りに山梨県富士川町などで開催してきた。
7回目の今年は、木曽川・長良川・揖斐川(通称「木曽三川」)が集まる岐阜県海津市で、10月19日と20日の2日間開催される。海抜ゼロメートルの低地が広がる輪中としても知られ、長く水と闘い共生を目指してきた。
江戸末期、当地を治めた高須藩主・松平義建は、水害に悩む領民のため自作の禹王木像や肖像画を下賜して祀らせた。本年は、東海地区が甚大な被害を受けた伊勢湾台風襲来60年に当たる。「第7回全国禹王サミットin海津」が治水の歴史と現在(いま)・これからについて考える好機となることを期待する。