「内山完造と日中関係」が開催
協会初代理事長の面影たどる
・神奈川県日中友好協会
協会初代理事長をご存じだろうか? 文豪・魯迅を支援したことでも知られ内山書店を創業した内山完造である。その内山をテーマにしたシンポジウム「内山完造と日中関係」が7月6日に神奈川大学で開催された。シンポジウムは神奈川大学人文学研究所・日中関係史共同研究グループが内山完造研究会と共催。内山完造氏(以下「完造」)の研究者や完造ファンら約80人が研究の発表を熱心に聞き入っていた。
最初の挨拶は岡山市日中事務局長の松井三平氏。完造とともに協会設立に尽力した中西寛治氏から、完造の精神などの薫陶を受けたことなどを紹介した。シンポジウムでは、神奈川大の菊池敏夫氏が完造の『花甲録』について、完造の商人としての視点から解説。中国人に対する信頼が厚かったことを、同業者組合のエピソードなどにより紹介した。同大学の孫安石氏は、岡山市日中友好協会に保管されている完造関連の資料などを解説。貴重な資料である「故内山完造日中友好葬紀念誌」として発行された『道』や、頓挫した「完造記念館建設計画」について紹介。
同大学の大里浩秋氏は、完造の日中友好協会初代理事長時代の日中友好活動を、会報紙「日本と中国」の記事から解説。大里氏は完造の立ち位置について、中国での体験を踏まえた「中国」と「中国人」を語った「全国行脚」が出発点と指摘。完造は戦前、戦争中の日本の中国に対する行為や、残留日本人の帰国問題や国交回復問題に対する日本政府の姿勢を批判してやまなかったと指摘、友好活動を超党派としてまとめる役割も果たしたのではと結んだ。最後に現内山書店社長の内山籬氏が、会場で開催の「内山完造の未公開アルバム展」に展示された写真を、1点ごとに解説した。完造に関する最新の研究結果や貴重な写真に触れることができ、完造の偉大さを再認識したシンポジウムであった。
(神奈川県日中 事務局 三浦修)
中部6県日中民間友好交流会
中国駐名古屋総領事館が主催
・愛知県日中友好協会
中国駐名古屋総領事館主催の「2019年中部6県日中民間友好交流会」が7月2日、愛知県西尾市の吉良観光ホテルにて開催された。この会は、中国駐名古屋総領事館が管轄する中部6県の日中友好協会の代表者を集め、交流事業についての報告会と懇親会を行うもので、太田宏次・愛知県日中友好協会会長、岡﨑温・同副会長ほか、酒井哲夫・福井県日中会長、舟橋裕幸・三重県日中会長、金尾雅行・富山県日中会長、土屋康夫・岐阜県日中理事長、安宅弥吉・石川県日中理事長ら24人が参加、名古屋総領事館からは、劉暁軍総領事、孫志勇副総領事はじめ5人が出席した。
会の冒頭、劉総領事は以下のように挨拶した。「この何年か私たちは、中日関係の改善に大きな労力を費やしてきた。そして、その中心にあったのが日中友好協会であり、継続的な民間交流があったからこそ、今、両国関係はほぼ正常な軌道に戻ることができた。友好協会の貢献に感謝を申し上げたい。今後は、次世代交流のため、共生社会実現のため、未来志向の活動を増やしていってほしい」
続いて各県から地域の特性を生かした交流事業についての紹介があり、自県の今後の事業展開のヒントとなる内容も多く、参加者らは熱心に聞き入っていた。その後は懇親会が開かれ、4県の会長がそれぞれ総領事館への感謝と力を合わせて友好交流事業を発展させていく決意を語った。なごやかな雰囲気の中、翌日には、伊藤則男・西尾市日中会長のはからいで、地元の国宝「金蓮寺弥陀堂」を見学した。
(事務局 林智子)
南村志郎氏を囲んで
感動的だった日中友好講演
・宮城県日中友好協会
宮城県日中友好協会は6月8日、「日中友好の懸け橋―南村志郎氏を囲んで」の講演会を仙台市内の江陽グランドホテルで開催した。みちのく経済文化研究会の共催、(公財)未来の東北博覧会記念国際交流基金の助成をいただき、90人を超える参加があった。県協会・佐々木会長の南村講師紹介(『日中外交の黒衣六十年』の著者、元西園寺公一北京事務所所長)を中心に、河村和徳・東北大学愛学院准教授、新沼光昭・県青年委員会委員長との鼎談方式で行われた。
南村氏からは「隣国・中国といかに付き合うか、今なすべきこと」「特に青年こそ歴史についてきちんと学ぶべきである」等、体験をもとに話があった。さらに米中・中朝関係にも話が及ぶなど、卒寿を迎えた南村氏のかくしゃくたる姿勢と口調、そして大変内容が濃く説得力ある鼎談で、参加者は感銘を深くしていた。周恩来首相の言葉を引用しての「加害者が過去のことを忘れてはいけない。被害者の方ができるだけ過去のことを忘れようとする。こういう関係になったときに、初めて日中の花が開く」との話が一番心に残った。終了後には少人数でのお茶会も催し、大変有意義な講演会となった。ぜひ多くの方に南村氏の著書を読んでほしいと思った。
(理事 横山弥生)
第4回訪中団を派遣
名曲も偲びながらの慰霊の旅
・北海道日中友好協会
北海道日中友好協会では、6月10日から1週間の予定で、第4回日中友好訪中団(団長・五島理事長、参加者14人)を、往年のヒット曲『無錫旅情』の歌詞の通り、上海・蘇州と汽車に乗り、太湖のほとり無錫の町へと派遣した。南京では、「侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館」を訪れ、道日中の青木会長名で献花を供し、五島団長が犠牲になった方々への「慰霊の言葉」の挨拶文を読み、全員で黙とう後、参詣した。
記念館はリフォームされ、多くの犠牲者の写真及び、鉄製の犠牲者名簿が展示されており、また多くの中国の若い人々が熱心に参観していた。私も25年前に団長で道日中青年委員会21人を連れ、南京城壁修復事業に参加しこの地を訪れて以来であり、とても厳粛な気持ちで参詣した。今回のこの旅行は、中国駐札幌総領事館 孫振勇総領事の温かい配慮での招待で実現した。訪れた江蘇省、無錫市、蘇州市、浙江省、上海市の各対友協のみなさんとは歓迎昼食会、夕食会での親善交流を行った。
無錫では、太湖で遊覧船に乗り、『無錫旅情』を歌い、「杭」の文字を用いる杭州では西湖にて遊覧船を楽しみ、豊かになった江南地方を視察した。上海では、旧和平飯店でのオールドジャズバンドの演奏を聴きながらカクテル「上海」を楽しんだ。浦東の118階のビルの展望台より街並みを見て、眼下にはテレビ塔の東方名珠塔を見た時、前回上海を訪れた時に上ったので、それを見下ろすことにとても不思議な気分がした。ますます発展する中国・上海を見ている気分の旅行だった。
(理事長 五島震二)
女性委員会が民家で
中国人女性たちをおもてなし
・千葉県日中友好協会
県日中女性委員会(齋藤淑子委員長)は、中国張家口市の女性たち8人と通訳1人を山武市の民家で歓迎した。彼女たちは、日本に観光ツアーで訪れたが、日本の民家を訪問し、庶民の食事を味わいたいとの希望で実現した。
自家製の手料理、お刺身、お寿司でにぎやかに会食。齋藤委員長が採れたての野菜を使った料理を説明し、参加者全員、とてもおいしいと満足の様子だった。中国からの女性たちは、初めての日本の民家に物珍しそうにずっと見入っていた。
総勢53人の日帰り旅行
中国大使館らと豊洲市場を参観
・佐倉市日中友好協会
千葉県・佐倉市日中友好協会は5月17日、日帰り親睦旅行を実施した。会員・会友(上海出身の高本夏希さんを含む)53人が参加。晴天に恵まれ早朝、佐倉を出発。注目の豊洲市場見学、奥野代議士の配慮で場内施設の説明も受け、広大な市場も見学する。築地では大変な人ごみの中、昼食と買い物を楽しんだ。
午後は、日中友好会館を訪問、荒井理事長、鄭中国代表理事、佐藤常務理事から日中友好会館の沿革や活動の現況、後楽寮の現況等々を伺う。長谷川会長から御礼の挨拶の後、後楽寮内を見学、さらに美術館見学と思い出を作った。最後に中国大使館を佐倉日中友好協会としては7年ぶりに訪問。多忙の中だったが、倪政治部参事官、邵1等書記官から最近の日中関係、大使館の仕事概要等を聞く。長谷川会長から程前大使、汪婉大使夫人との思い出話や謝意、また、今年創立20周年を迎え、10月に予定の中国訪問時の大学への橋渡しなどのお願いをした。質疑応答では参加者から数多く手が挙がり、笑いもあって楽しい時間を過ごした。十分親睦の深まった旅行となった。
(会長 長谷川稔)
三重県日中の小宮副理事長が視察
中国貧困家庭の実情
・三重県日中友好協会
経済の急成長により、豊かさが増した中国。しかし、都市部と農村、沿海部と内陸部など、地域格差は厳然として存在する。発展する社会から取り残された感のある中国の貧困家庭の実情を、前月の「中国介護施設事情」に引き続き、三重県日中友好協会の視察より紹介する。なお、三重県日中では、これらの家庭の特に若者を対象にした奨学金創設に向けて検討を始めた。
6月下旬、小宮一郎副理事長は吉林省の長春郊外にある2つの家庭を訪問した。いずれの家庭も、家族の傷病や離縁等によって経済的困難に陥り、子どもの高校進学費用を捻出できないため、このままでは将来有望な子どもが進学を諦めざるを得ないという。最初に訪れた家庭の女性は、息子さんが怪我で働けなくなり、それを理由にお嫁さんが家庭を去った。15歳のお孫さんが高校への進学を希望しているが、費用が捻出できず困っている。
2つ目の家庭の女性は耳と精神に障害を持ち、ご主人も足に障害を持つため、通常の仕事ができないでいる。息子さんは学業で優秀な成績を収めているが、高校進学にあたり経済的不安を抱える。年収3000元以下の家庭は政府が認定して「貧困認定通知書」を発行しており、両家庭もその対象だった。
子どもは家庭の、村の希望を担う存在である。その将来が閉ざされることのないよう、当協会として、長春対外友好協会や当協会関係者との協力のもと、日中間の友情をもって、若者達への奨学金制度創設に向けて、検討を重ねていきたい。
老・壮・青の男女が
餃子作りで大盛り上がり
・福島市日中友好協会
福島市日中友好協会(山田明生会長)では6月16日に、恒例となった「餃子つくり草の根友好のつどい」を開催した。会場は福島市のMAXふくしま4階のアオウゼ調理室。福島大学で学ぶ中国人留学生、日本人学生、その友人のアメリカ人、中国人研修生、福島市日中会員の総勢42人が参加した。
和気あいあいのうちに水餃子や焼餃子、さらには2品の春雨料理が出来上がった。調理室には餃子特有のいい香りが充満し、国際色も豊かに老・壮・青の男女が入り混じって、友好交流のひとときを過ごした。出来上がった餃子を皆で食べながらの懇談会はひときわ盛り上がった。満足そうな顔、顔、顔。その後、ビンゴゲーム大会が催された。高級な洋服から洗剤などの日用品まで、会員から様々な物品が提供され、それらの獲得をめぐって会場はさらに熱気に包まれた。調理室には賞品を当てて喜ぶ声が響いた。民間レベルで、国境を超えての平和で楽しい集いとなった。
(理事長 渡辺紘一)
中国上海市・同済大学学生訪日団
着物体験など日本文化などを体験
ホームステイ受け入れて20周年
・池田市日中友好協会
5月23日から30日(7泊8日)で、上海・同済大学の学生10名と先生2人を受け入れた。同済大からのホームステイは今年で20年目を迎え、これまでの総人数は学生307人と先生39人の合計346人にのぼる。前池田市日中友好協会名誉会長の故藤尾昭氏の決断でこの交流が始まった(最初の2000年は、01年に同済大学と合併した「上海鉄道大学」だった)。池田市在住の高倉康一同校客員教授と徐暁助教授の配慮により、ホームステイ研修が始まり、受け入れは「池田ホームステイ友の会」(現「いけだ国際交流友の会」)が行っている。
今回の訪日には、従来の日程に20回目を記念として「大阪市役所」を表敬訪問の計画に取り入れた。大阪市と上海市は「友好都市」だが、同済大生たちの訪問は、過去に一度もなかった。窓口の大阪市経済戦略局・立地交流推進部 和田彩部長はじめ5人の職員のおかげで、交流を深めることができた。8日間の内容は、池田市長訪問、ラーメン発明記念館、ダイハツ工業見学、図書館、五月山公園、水月公園と日本食び温泉体験、また京都、奈良、神戸、大阪市内を参観。特に感激していたのは「着物着付け体験」で12人全員が参加し、池田駅前を散策した。
5月24日には歓迎レセプションが、池田市日中友好協会主催で池田駅前北会館(ステーシN)で開催され43人が参加した。池田市日中・倉田薫会長、梁艶准教授と時暁陽先生、高倉康一客員教授が挨拶し、大阪府日中友好協会副理事長の大薮二朗氏が乾杯の音頭を取ってレセプションは始まった。記念品の交換も行われ、ホームステイ交流20周年を記念して、同済大より、5回以上受入れた17家庭にトロフィーが贈呈された。全20回のうち18回も受入れた家庭もあった。息子や娘が増えたようだと。この交流が継続し、日本と中国の懸け橋になるよう我々も頑張りたいと思う。
(事務局長 主原通洋)
中国建国70周年を記念
県日中訪中団が北京、河北省へ
・長野県日中友好協会
長野県日中友好協会は中華人民共和国建国70周年を記念して6月25日から30日まで、西堀正司副会長・会長代行を団長とする長野県日中友好協会訪中団13人を派遣、北京と河北省の石家庄・張家口を訪問した。北京では中国人民対外友好協会の宋敬武副会長を表敬、友好交流について有意義な意見交換を行うとともに、歓迎宴でもてなしてもらった。
開催中の北京世界園芸博覧会を参観できたことも良い思い出となった。一方、河北省の省都、石家庄では、王立忠省外事弁公室主任(省友好協会会長)や梁国輝アジア・アフリカ処処長はじめ友人の皆様から熱烈歓迎を受けた。王主任とは初対面だったが、温かく歓迎いただき、今後冬季オリンピック支援の交流はじめ、一層の友好協力を進めていくことを確認した。また、ゆかりの深い河北省農林科学院を訪問し交流を深めた。張家口では冬季オリンピックの会場の一つ、太舞スキー場を視察した。高速鉄道の王子城駅に隣接し、リゾートの中心施設はすでに完成していて大勢の観光客でにぎわっており、高速鉄道は今年12月に完成し50分で北京とつながるという。
冬季五輪の張家口市へ 太舞スキー場などを視察
一行は28日、早朝ホテルを発って空路、北京冬季五輪スキー競技の会場を有する張家口市を訪問した。海抜1500メートルの高原の都市で万里の長城の大境門を参観後、郭英副市長主催の歓迎会に出席。「長野五輪の経験に学び、素晴らしい冬季五輪ができるよう努力している。引き続き支援を願いたい」とあいさつされた。午後は体育学部を有する総合大学の張家口学院を訪問、冬季スポーツの訓練施設で学生が熱心に練習していた。
翌29日はオリンピック開催地の崇礼区へ。高速鉄道の王子城駅が急ピッチで建設中で、12月には完成予定、北京北駅と50分で結ばれるという。隣接してオリンピック会場となる太舞スキー場があり、ホテルをはじめとしたリゾート施設、スキー場は完成しており、大勢の余暇を楽しむ家族づれ観光客でにぎわっていた。李永太副総裁はバッハIOC会長も訪れたことや極東カップやアジアカップが開催されたこと、またリゾート地として夏20万人、冬20万人が訪れていることを紹介した。
蘇州に寄贈の自作の油絵
24年ぶりの“再会”に感激!
〈寄稿〉金沢市の画家・桜井幸永さん
1981年金沢蘇州の友好都市を機に金沢市美術団を結成した。現地で展示会を行い、翌年から蘇州作家に呼びかけ両市合同美術展に。さらに富山、福井両県の日中友好協会および地元新聞社の協力を得て、両県の作家も金沢訪中美術団に合流、北陸3県一体となって蘇州での展示会に臨んだ。交流を深める中、94年、蘇州外事弁公室新築落成の際、作品寄贈の要請を受け、金沢の代表的風景のひとつ〝浅の川の春〟と題する油絵を寄贈した。
それ以来24年が経過した昨年2018年10月、蘇州訪問の際に思いついたのが寄贈した作品との〝再会〟だった。外弁を訪ねると、兪副主任がカメラを携え出迎えてくれ、大ホール壁面の自作と対面した。24年ぶりの我作品を感慨深く眺めながら、兪副主任にこの作品の意図についてひとしきり説明した。さらに蘇州の古い街並みをライフワークで描き続けていること、蘇州から寄贈された作品や写真、その他資料で、06年まで続けてきた両市合同美術展を金沢市からの例外的措置として補助金を受け、再現していることもつけ加えた。今年6月に蘇州を再訪した際、昨年の”再会”の様子を伝えた機関紙『蘇州外事』を入手。「余分があれば欲しい」と持ちかけると、数冊用意してくれた。さらに団員の要望もあり、昨年に続きホールの壁面中央の作品を鑑賞した。