中央大学法学部教授
李廷江さん
1977年清華大学日本語学科卒業後、遼寧省外事弁公室、中国社会科学院での勤務を経て、東京大学大学院へ留学のため、来日。1988年同大学院博士課程(国際関係論)修了。その後、亜細亜大学助教授・教授を経て、現在は中央大学法学部教授。また、清華大学日本研究センター主任も兼任。主な著書に『日本財界と辛亥革命』(1994、中国社会科学出版社)、『日本財界と近代中国』(2003、お茶の水書房)、『清末要人と近衛篤麿』(共著、2003、原書房)、『近代日中関係源流』(2011、社会科学文献出版社)など。
日本との最初の関わりは?
私が初めて来日したのは1982年5月21日のことです。1977年に清華大学日本語学科を卒業後、故郷である遼寧省外事弁公室に就職しました。その後、1979年末に中国社会科学院の試験に合格し、当初は世界政治研究所に所属して日本政治を研究していましたが、新設された日本研究所に移り、初代所員の一人として経済室に配属されました。
来日後、1年間の研究生生活を経て、1983年春に開設されたばかりの東京大学大学院総合文化研究科に入学し、1988年に辛亥革命に関する研究で博士号を取得しました。私は公派の私費留学生として留学していましたが、留学に際しては生活保証人が必要でした。その際、生活保証人を引き受けてくださったのが宇都宮徳馬先生(日中友好協会第3代会長)でした。実際の生活保証人である沢登晴雄氏、そして書類上の在日保証人である宇都宮先生には、大変お世話になりました。その時のご恩は今でも忘れることはありません。
ご研究やお仕事について教えてください
大学院修了後も、近現代日中関係史をテーマに研究を続け、2000年には中央大学法学部教授に就任しました。それ以来、現在に至るまで中央大学で教鞭を執っています。
中央大学は中国と非常に深い縁を持つ大学であり、明治期から多くの中国人留学生を受け入れてきました。例えば、廖承志(中日友好協会初代会長)の父である廖仲愷や、1949年10月1日の開国大典で司会を務めた林伯渠も、留学時代に中央大学で学んでいました。
私も日中関係の発展に寄与したいという思いから、中央大学で日中関係発展研究センターを設立し、また母校である清華大学では日本研究センターの設立・運営に、立ち上げ期から携わってきました。来日して40年以上が経ちますが、日本での生活や研究を通じて、母国である中国について改めて再発見する機会を得られたと感じています。
ご専門でもある日中関係に期待することは?
私が伝えたいのは、日中関係は一般的に考えられているほど単純なものではない、ということです。私の専門は近現代の日中関係史ですが、日中関係の歴史はここ数百年に留まらず、2000年以上前から続くものです。日中両国は、良い意味でも悪い意味でも切っても切り離せない関係にあります。
また、日中関係は政治だけにとどまるものではありません。経済、文化、学術、芸術といったさまざまな分野で深く交流が進んできました。特に現在のように日中関係が厳しい状況にあるからこそ、その多面性をしっかりと理解することが重要だと考えています。
私は、大学という政治からやや距離のある場に身を置いていますが、だからこそ、多角的な視点から日中関係に少しでも貢献できればと思っています。
(聞き手:佐野 聡)