小さな家族の単位から見た日中関係史

2024年10月1日号 /

友好訪問プロフィール

元東京都日中友好協会常務理事

滝口たきぐち忠雄ただおさん


日本写真協会会員、国鉄写真連盟会員。1946年東京生まれ。1964年日本国有鉄道(国鉄)に就職、翌1965年より電気機関車乗務員として過ごす。2008年JR貨物退職。1970年頃日中友好協会目黒支部入会、1984年東京都日中友好協会青年部事務局長。1988年同退任。東京都日中友好協会常務理事、2015年同退任。1992年、中国人と結婚。著書に『滝口忠雄写真集 遥かな汽笛』など。2024年、日本僑報社から『うちのカミ讃』刊行、第2回中友会(「忘れられない中国滞在エピソード」友の会)出版文化賞受賞。

9月7日に東京代々木公園で開幕されたチャイナフェスティバル2024・漢語角(中国語コーナー)ブースにおいて、第二回中友会出版文化賞授与式が行われた。第二回受賞者は『うちのカミさん―ひとつ屋根の下の異民族共生―』を書いた滝口忠雄さん。

20代で中国に魅かれ、鉄道会社で働きながら日中友好協会の活動に参加していた滝口忠雄さんは、そこで知り合った中国人のカミさんと一つ屋根の下で暮らすようになった。

異文化同士が触れ合う山あり谷ありの日々の中での出来事などをまとめ、東京都日中友好協会機関紙「日本と中国 東京版」に18年間、110回にわたって連載した大人気コラム「うちのカミ讃」から40余編を抜粋し待望の書籍化!

小さな家族の単位から見た日中関係史とも言える一冊を、元編集担当者と著者が語った。

元編集担当者が語る

元東京都日中友好協会事務局長、「日本と中国 東京版」編集担当の吉田愛子氏は、「出版に寄せて」の中で、次のように絶賛した。

『うちのカミ讃』の出版にあたって私が感じたのは、この一冊は、《文字のアルバム》だということ。どのページを開いてもそのときの滝口家が立ち現れる。

滝口さんは、好きなことをあきらめず手放さずにここまで来た。それはカミさんとの暮らしが作り上げたものだ。自分の気持ちや考えを分かってもらうために、言葉を使う。通訳もするカミさんの日本語力は言うに及ばず、滝口さんも魯迅の「孔乙己」や漢詩を暗記し、朗誦しながら散歩するという。

しかし、母国語が違うのだから、相手がはっきり理解したと思うまで繰り返す。ときには感情の行き違いを生む。けんかや家出にもなる。その努力は、日本での暮らしを選んだカミさんのほうが大きかったに違いない。でもカミさんもやりたいことをあきらめなかった、と思いたい。

著者本人が語る

2021年の日中共同の世論調査によると、日本側で中国に良くない印象を持っている人が91パーセント、中国側では66パーセントだという。政府間やメディア報道はそうであっても、日本には私のような家庭が数多く存在する。

私が現職の時、後輩が三人私と同じような家庭を持っていた。中国にだってこんな家庭が存在するのではないか。それでなくてもそれぞれの国に留学生や企業の駐在員等が多数暮らしている。

政治的には険悪でも内実、日本と中国は深いつながりのある一衣帯水の国なのだ。本書に綴られている文章は、日中両国がお互いに良い印象を持っていた時代の話である。

これは読みようによっては、子育て奮戦記、あるいは単なる家族の歴史の一部に過ぎないだろう。しかし、この家族のダンナは日本人、カミさんが中国人とすると、少しばかり話は違ってくる。大げさに言えばひとつ屋根の下の異民族共生、更に風呂敷を広げれば小さな家族の単位から見た日中関係史ということにもなるかもしれない。そう読んでいただけたら私は嬉しいのである。

(撮影:段躍中)