中国や日本の史跡取材で得た知見を広めたい

2024年7月1日号 /

歴史紀行作家
上永哲矢さん

神奈川県横浜市生まれ。歴史紀行作家。主に歴史コラムやルポルタージュを雑誌やwebに寄稿。日本の歴史および中国史に関わる史跡を精力的に取材。主な著書は『三国志 その終わりと始まり』(三栄)、『戦国武将を癒やした温泉』(天夢人/山と溪谷社)、共著『密教の聖地 高野山 その地に眠る偉人たち』(三栄)等。現在、主に雑誌『時空旅人』や『歴史人』にて歴史コラムや歴史にまつわるインタビュー記事を連載中。

上永哲矢さんは歴史紀行作家(歴史ライター)です。雑誌『歴史人』のWeb連載「三国志入門」は、2020年4月にスタートしてこの5月で第105回を迎えました。また雑誌の企画で城や寺社、史跡取材で全国各地を飛び回っています。神奈川県日中友好協会では、今年開催した新春講演会で三国志をテーマに講演していただきましたが、こちらも大好評。現在までのいきさつなどについてお伺いしました。


中国文化との関わりは?

私は横浜・戸塚区の生まれです。祖父が伊勢佐木町で時計店を開いていた関係で、子どもの頃からよく横浜中華街に遊びに行っていました。ブルース・リーやジャッキー・チェンの映画にも夢中でした。小学5年の夏休みに読書感想文の宿題があり、父から『三国志』を薦められました。ただ、吉川英治版はまだ難しく、最初に読んだのは図書館で見つけた子ども向けの単行本です。吉川英治版は高校生になって読みました。私が中国文化に関わる原点です。

歴史紀行作家として一本立ちするのは大変だったのでは?

社会に出て出版や編集などの仕事に携わりましたが、30歳になる少し前、好きな仕事がしたいとフリーライターに転身しました。そのために編集ライター養成講座にも半年ぐらい通いました。はじめは依頼されたものは何でも受け、中でも横浜ベイスターズのオフィシャル誌の仕事はいい思い出です。この間の様々な分野の取材がその後の基礎になっています。歴史紀行作家として一本立ち出来たのが40歳になる少し前、フリーライターになって10年ほど経っていましたが、今振り返るとそれは情報のインプットに必要な期間でもありました。

中国には何回行かれましたか?

コロナ以前ですが、取材とプライベートを合わせて通算10回以上行っています。長江や黄河など雄大な自然、万里の長城など歴史的建造物、大陸の独特な空気感は行ってみないと分からないですよね。石碑が1本あるだけ、草で埋もれているような史跡にも魅力を感じます。日本から「三国志の史跡を観に来た」というと地元の人が親切に案内してくれることもあり、そうした経験も印象深いです。

三国志の魅力は?

紀元200年代、魏・蜀・呉の三国が、それぞれ皇帝を立てて約60年間並存したことは、長い中国の歴史上でも稀なことです。ただ、物語の「肝」は三国ができてからの話より「国ができるまでの過程」で、そこに成功譚も失敗譚もあって面白いのです。たとえば、圧倒的に優位な勢力を持っていたのは魏の曹操ですが、その曹操を蜀の劉備と呉の孫権が力を合わせて撃退したのが、有名な「赤壁の戦い」。もう一つの魅力は登場人物の個性。日中間ではその受け止めが少し異なるように感じます。中国では、諸葛孔明は単に「頭がいい」と受け止める方が多い印象ですが、日本では彼の「忠義」が武士道とも結び付いて人気が出ました。中国では、曹操は「悪人」として嫌う人もいますが、日本では非常に人気があります。これは多分に孔明を人間らしく、曹操を悪役ながら格好よく描いた吉川英治の小説の影響です。約1800年の時と国境も海も越えて愛され続ける金字塔のような存在だと思います。

(聞き手 神奈川県日中友好協会 専務理事 三浦 修)