高校時代から歴史の教科書に載っていない市井の人々の文化に興味を持ち、民俗学の道に

2023年9月1日号 /

神奈川大学学長
民俗学者、文化人類学者
(一社)神奈川県日中友好協会副会長
小熊 誠さん

1954年生まれ。横浜市出身。筑波大学卒、博士。
沖縄国際大学教授、学部長を経て2009年神奈川大学外国語学部教授に就任。2020年同大学国際日本学部教授。2022年4月神奈川大学学長に就任。

【著書】
『〈境界〉を越える沖縄』(編著)森話社、2016年
『沖縄における門中の歴史民俗的研究』第一書房、2023年 など

 

小熊先生が初めて中国に渡ったのが1980年、その後香港、台湾を含めて調査や大学交流が目的で100回以上中国に。インタビューの冒頭「中国の歴史」が好きと言われましたが、お話が進むにつれ、先生は「中国の人々」も好きでは、と思うようになりました。もう一つは、民俗学に対する強い思い入れです。筑波大学の恩師が柳田國男の教え子とお聞きし、思い入れは次々と引き継がれている、と感じました。

 

──大学で民俗学を専攻された理由をお聞かせください。

高校生の時、「歴史の教科書には一般の人々のことが書いてないよね。それを知りたいよね」と友達に話したことがありました。歴史を勉強したいと思い筑波大学に入学。この筑波大学入学がポイントでした。オリエンテーションでたまたま民俗学の先生が登壇。先生は「民俗学は頭で勉強するのではなく、足で勉強するもの。一般の人々の生活を知る学問です」と言われ、私はこれだと決めました。

 

──なぜ中国や沖縄の民俗を研究テーマとされたのですか。

私は元々中国の歴史が好きでした。1979年、修士1年の時、交換留学で香港中文大学に1年間留学。文化人類学者の費考通先生が香港に来られた際、香港中文大学の恩師が「この若い日本人は中国の社会を勉強したいと言っている」と私を紹介。先生は「それなら私のことを勉強しなさい」と言われ、費考通先生を修士論文のテーマに。

筑波大学の博士課程にいる時に、恩師から「沖縄国際大学に行きなさい」と言われてびっくり。沖縄には独特の文化が残っているし、沖縄の文化を理解するには中国の文化を知る必要があることが分かりました。その後文科省の科学研究費助成金等を得て毎年中国各地に調査に行きました。

──どんな調査をされたのですか。

風水と家族制度です。村々を歩いて風水のことを聞くのですが、当時(1990年代)は風水が禁止されていて、一般の人たちは知らないので村の長老に聞くんです。浙江省の少数民族を調査した時は、文化局の若い女性が付いてきて私がどんなことを質問するのかチェックするんです。取材が終わった後、その女性は「先生、風水なんか聞いてどうするんですか。こんなのは邪悪の文化です」と言うんです。私は「風水は中国の伝統的、歴史的な文化であり、風水をしっかり勉強しないと中国の文化は分かりませんよ」と言ってあげました。その後状況は変わり、今や本屋には風水の本がうず高く積まれているなど「風水ブーム」が起きています。沖縄で目にする「石敢當」という魔除けの石碑も、風水に由来するもので中国から伝わったものです。

次に家族制度。中国では父親から姓をもらい、男も女も一生姓を変えることはありません。この父系の血縁集団を宗族と言い、宗族が村をつくり社会をつくって来ました。中華人民共和国が出来て宗族は国に対抗する勢力になるという理由で禁止されましたが、最近福建省や広東省などでは、宗族研究会と称して族譜が資料として作られています。ちなみに、この父系血縁集団である宗族が琉球において「門中」となりました。

最後に、先生は徐福の例を示しながら、「民俗学は、歴史的に正しいかどうかが重要ではなく、両国の人々が現にどう考えているかが重要なのです」とインタビューを纏められました。

(神奈川県日中友好協会専務理事 三浦 修)