『七歳の僕の留学体験記』著者
大橋遼太郎さん
1999年、長野県生まれ。東京理科大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程在学中。中友会(中国滞在エピソード友の会)青年委員。2007年~2010年、北京の現地の小学校に通いながら、「毎日小学生新聞」の毎小特派員として中国の出来事を連載。2011年、「日本語が下手なおじいちゃん」で第21回「島根県雲南市永井隆平和賞」小学生高学年の部最優秀賞を受賞。2013年、TBS「報道の魂」にて、ドキュメンタリー『遼太郎のひまわり~日中友好の明日へ~』出演。2022年、「人と人の間に国境は無い」で第5回「忘れられない中国滞在エピソード」(日本僑報社主催)2等賞を受賞。趣味は歌うこと、模型製作、鉄道旅行。2023年3月、『七歳の僕の留学体験記』(日本僑報社)を出版。
突然の中国留学、当時の心境を振り返る
私の父は日本人、母は日本と中国のハーフで、私は長野県で生まれ育ちました。小学2年生の時、母が北京の大学院で研究することになり、泣く泣く同行することに。私自身は中国語を喋れず、また中国にも行ったことがなかったので、日本人だというアイデンティティしかなかったからです。
渡航前はただただ漠然とした不安に駆られていましたが、新たな出来事に挑戦できるという期待もありました。同級生からもらった手紙や送別の歌を胸に刻みながら、2007年5月、中国へ渡航しました。こうして約3年間の北京での生活が始まりました。
中国人の親友と過ごした大切な3年間
体験記の内容を一部紹介します。中国語が全く話せないため、最初の1学期は本当に大変でした。クラスメイトとのコミュニケーションはもちろん、先生が授業中に教えていることも理解できず、毎日長野のクラスメイトのことを思い出しては枕を濡らすこともありました。
しかし学校の先生の協力や、特に同じクラスの李くんのおかげで徐々に教室の輪の中に入ることができました。2学期目からは言葉の問題もある程度解決することができ、学校内の勉強はもちろん、お楽しみ会や学外でのお泊まり会など、クラスメイトと毎日本当に楽しく過ごしました。帰国直前には日本国籍にも関わらず、各クラス内のリーダーの証である「少年先鋒隊」にも選んで頂きました。
帰国してからは、自分の趣味である鉄道、乗り物と関係する仕事に就きたいと思い理系を選び、東京理科大学に進学しました。中国へは2013年に一度渡航して以来10年間訪問できていませんが、当時のクラスメイトたちとはWeChatやEメールを通して今もやり取りを続けています。中でも李くんは大学の第二外国語で日本語を専攻しており、コロナ前の2019年には一度東京に遊びに来てくれました。
自分を助けてくれた中国への恩返しを
私が言葉や生活面で大変だった時、そして小学校の歴史教科書で日本と中国との戦争が取り上げられ心を痛めていた際も、変わらずに接してくれたクラスメイトたち。そんな彼らに恩返ししたいと思って現在は東京理科大のボランティアサークルに加入しています。そこで中国人留学生へのサポートはもちろん、多くの日本人の方に中国の良さを伝えられるようなイベントも今後は数多く企画していきたいと考えています。
また以前も毎小特派員として中国現地の生活を記事にしていたこともあり、いつかは小学校留学時代のエピソードを形にして等身大の中国を発信したい、と思っていた矢先、新型コロナウイルス感染症が流行。学校に行けない時間を有効活用するために、予定を前倒しして『七歳の僕の留学体験記』の執筆を始めました。
日本の国際化も進み、今後私と同じように小中学生で中国に渡航する子どもも増えてくると思います。子どもたちはどのような不安を抱いているのか、学校内ではどのように過ごしているのか、現地で過ごした私にしか分からないことを今回まとめさせて頂いたので、これから新しい挑戦に臨む子どもたちにはもちろん、親御さんにも手に取って頂きたいと思っています。また留学以外でも、これから先の未知なる世界に飛び込む全ての人々に捧げる渾身の一冊となっていますので、『日本と中国』の読者の方にも是非ご覧頂ければ幸いです。
(井上正順)