NPO法人日本二胡振興会副会長
中国民族管弦楽学会胡琴専業委員会名誉理事
劉 福君さん
熊本市在住。劉福君九州二胡教室主宰。日本華人文聯副主席。1963年、中国吉林省遼源市生まれ。1985年、吉林省芸術大学(二胡専攻)。1993年、熊本大学教育学部音楽科。1995年阪神大震災、2008年中国四川大地震、2011年東日本大震災等、チャリティーコンサートを積極的に実施。2001年、2005年、2010年、吉林省民族楽団、北京中華全国総工会文工団来日本九州各地友好交流公演企画・主催。2007年、上海長三角洲民族展演会に二胡教室の生徒と参加。2009年、「二胡サミット」に上海、福岡、東京で出演。2020年、熊本城復興チャリティコンサート、人吉球磨川豪雨災害チャリティコンサート開催。2022年、「平和の祭典」日中二胡名曲コンサート開催。
二胡との出会いは幼い頃です。いつも父と兄が京胡を弾きながら京劇の歌を歌っていました。楽しそうな様子を見て、知らないうちに自分も入り込みました。小学校(東吉路)の4年の時に家の引っ越しをきっかけに、転校した小学校(向東路)の音楽隊の演奏試験を受け、合格し入隊しました。音楽隊の隊長に任命され、市の学園祭やボランティアと訪問演奏を積極的に行いました。踊りと歌の伴奏以外は独奏で出演しました。学生時代は音楽がとても楽しかったです。
1992年8月、吉林省民族楽団の一員として日中文化交流の為、九州・四国の六ヵ所公演に来ました。飛行機が福岡空港に着陸する際、海から町へ下りてきた光景はそれは美しかった。そしてそれ以上に聴衆が素晴らしく、反応がすごく伝わってきました。このような経験は中国でもありませんでした。日本に魅せられて楽団を辞め、翌年の6月、熊本大学教育学部音楽科に入りました。
特に印象的な演奏会は、2007年2月8日、上海音楽学院の王永徳教授のお招きで出演した《第4回長江三角州地区民族楽団展演会》事です。上海民族展演会は小学生から一般社会人各階各層・学校の広範囲な楽団が練習の成果を発表する音楽大会で、出演の46団体は人数も形態も様々。日本からは、劉福君九州二胡教室の参加者が80人で、その内61人が演奏しました。演奏曲目は、日本の四季メドレーとシルクロードの四部合奏。中国で日本人が大人数で演奏を披露したのは初めてであったと思います。上海の大舞台で、奏者の優しさや重々しさ、そして力強さを表現できました。私たちの思いが二胡を通して伝わったのでしょう。会場から大きな拍手が起こり、歓喜に満ち溢れました。あの出来事は忘れられません。音楽で中国の方々と心が一つに解け合って夢のような時間と空気が会場に流れたように、音楽の力で、日本と中国がお互いに理解し合う友好と平和を深める交流が増えるよう、努力を続けたいです。
今年、日中国交正常化50周年を迎えました。50年前の1972年9月29日、当時の田中角栄首相と中国の周恩来首相が日中共同声明に書名し、日本と中国の国交が正常化しました。あれから日中両国民の相互理解と友情を深めると共に、スポーツ、文化と経済の交流の推進を図ってきました。その50年間は日中両国と人々に多大な恩恵を与えました。私は国交正常化50周年の祝賀の為、プロデューサーとして「平和の祭典」日中二胡名曲コンサートを企画し、5月7日、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで開催しました。NPO法人国際音楽協会と共同主催で全国から420人の二胡演奏家と愛好者、中国民族楽器奏者と合唱団が出演し、日中の名曲《大海啊!故郷》《ふるさと》《川の流れのように》と私の作曲《郷の風》《草原情》《春風楊柳》《島の風》を奏でました。ご来場いただいた中華人民共和国駐大阪総領事薛剣氏と前国土交通大臣赤羽一嘉氏にはご挨拶を賜りました。この大規模なコンサートはNPO法人国際音楽協会の張文乃理事長と共に協力して実現しました。観客の熱烈な拍手と喝采を受け、「音楽は平和の象徴である」ということをたくさんの方々と心から共感し、感動を呼びました。
来日して29年。私だけでなく多くの中国人が来日し、多くの日本人が訪中し、様々な分野で交流が発展しました。多くの方々と二胡を通じて出会い、今があります。沢山の二胡愛好者を育て、日中間で交流や公演、災害被災地のためのチャリティーコンサートを開催しました。今までご協力とご支援していただいた団体と個人の方々に感謝いたします。
来年、来日30年になります。50年前の国交正常化のお陰で私も来日できました。次の新たな50年、今まで積み重ねた成果をいかして、更に二胡の魅力を伝えて二胡を広め、沢山の人々に音楽を通じて中国の歴史文化、各地域の音楽、美しい山水名所を紹介したいです。また逆に日本の文化、人情、風景と音楽を中国に紹介していきたいと思います。そして、日中両国の永遠の友好と平和のために貢献したいです。