日本を知ることは「知恵」と なり、中国人のためになる

2019年2月1日号 /

作家、神戸国際大学教授
毛 丹青(マオ・タンチン)さん

1962年、北京生まれ。北京大学卒業後、中国社会科学院哲学研究所助手を経て87年に三重大学に留学。商社勤務などを経て執筆活動を始め、著書に『にっぽん虫の眼紀行』(法蔵館/文春文庫)などがある。翻訳家として村上春樹作品やドラえもん、又吉直樹の『火花』(芥川賞受賞)などの中文訳を手がけた。日本文化専門誌『知日』は5年間で300万部の大ヒットに

 

中国でブームとなった日本文化専門誌『知日』を創刊(2011年)させたことで知られる。来日30年以上。神戸国際大学で教鞭をとりながら様々な日中文学交流に携わっている。

87年に三重大へ留学

北京大学で日本語を学び、卒業後は中国社会科学院に勤めたが、「日本を見てみたい」という好奇心にかられ1987年に三重大学へ留学。しかし、「金が無かった」という留学生活を脱するために始めた水産会社のアルバイトがいつしか本業に。毎日中国漁船を相手に住み込みで働いたという異色の経歴を持つ。
水産会社で稼いだ金で行ったのが日本放浪の旅。「仕事を通じて一般の日本人とふれ合ったことで、知らない日本をもっと知りたいと思った」。1年間を費やし47都道府県を回った。著書『にっぽん虫の眼紀行』(98年)にまとめると大きな反響を呼んだ。「北海道の天売島(てうりじま)では、水揚げされた2メートル以上のマグロの目玉を漁民たちがなめるという〝儀式〟を見た。非常に神秘的で衝撃を受けた」
「虫の眼で歩いた」観察力と表現力が高く評価され、大手出版社が同著を文庫化すると、より注目されるようになった。「2008年に内閣府のクール・ジャパン戦略のアンバサダーを頼まれ、翌年には複数の大学から専任教授の依頼が来た」

『在日本』誌を編集

「日本を知ることは『知恵』になる。豊かな生活や中国の発展につながる」
日本文化専門誌を作るきっかけとなったのは「よくよくは中国人のためになる」という強い思いだ。編集長として現在手がけている雑誌『在日本』(16年創刊)には教育者としての思いも込める。「中国人留学生と日本人学生を共同取材させている。取材するうちに互いに仲良くもなる」。自らが日本文化を伝えてきたように、『在日本』は「留学生が日本に暮らしてみて分かった『知恵』を伝える」ことに重きを置くという。

「知の落差」の克服

急増する訪日観光客など日本の今を知りたい中国人が増える一方で、中国を訪れる日本人が減っている現状を「知の落差」と懸念する。「今の中国人は日本を知りたいという好奇心を満たすために金を払う。しかし、日本でいう中国文化といえば、いまだ『三国志』など昔のもの。最新の中国文化を知りたい日本人が少ない。この落差は大きい」
毎年、教え子を連れて中国研修旅行を行う傍ら、最近は歌手の谷村新司さんや芥川賞作家の又吉直樹さんら有識者と中国で共同事業を行うなど、独自のやり方で改善に努める。「又吉さんが明石家さんまさんの番組で、上海訪問の出来事を面白おかしく話したのが高視聴率だったと聞いた。影響力のあるこうした有識者の層を厚くすることが、中日間の知の落差の克服にもつながると思う」

(北澤竜英)