留学、IT、コロナ禍 どんな時も颯爽と前へ

2021年3月1日号 /

 

株式会社エム・エイチ・グループ
代表取締役兼執行役員社長
朱峰玲子さん

1958年中国・湖北省生まれ。文革後初の大学生。
1985年4月来日後、株式会社エマーズ、日本ユニシス教育部新入社員のIT特聘教師を経て2000年株式会社シーボンに入社、化粧品業界初のIT技術で全国店舗ネットワーク管理を実現、2009年の同社Jasdaq、東証二部、東証一部(4926)上場に大きく貢献。2016年、株式会社エム・エイチ・グループ(9439)入社。2017年9月~同社代表取締役兼執行役員社長。

 

来日のきっかけ

来日は1985年4月8日。1982 年の第1期中国政府派遣大学院生に選ばれた夫が先に来日しており、84年からはその家族も来日が認められた。当時27歳、このチャンスを逃してはならないと、生後5ヵ月の息子を母に託し日本へやってきた。当時の中国人にとって、海外は想像すらできない場所。日本に到着後は見るもの全てが新鮮で、毎日が驚きの連続だった。

日本での生活

最初は福井大学に半年ほど通い、そこでは古き良き田舎の人々の温かさに触れる。印象に残っているのは、まだ十分に日本語を話せない自分に、家の鍵もかけず「いつでも入ってきてね」と言ってくれた大家さん。その後、東京へ移り、89年、日本で2人目を出産する。このタイミングで母に預けていた息子も呼び寄せ、そこから5年間は育児や家事、目の前の生活に精一杯の日々が続く。「日本語学校に通ったことはなく、日本語はすべてバイトや子育てで覚えました」。

しかし、いつまでもこのままではいけないと思い、夫が博士号を取った東京工業大学で研修生となり、その研修修了書でITの会社に就職、これが彼女の人生を大きく変える原点になる。

ITとの出会い

当時のITはまだ黎明期、学ぶ人も少なく、全員が一斉にスタートラインについたタイミングだった。持ち前のバイタリティでスタートダッシュを叶えた彼女はその10年後、株式会社シーボンに転職、ITを使って会社に革命を起こす。東証2部、東証1部へと上場を果たし、取締役となる。当時、中国人女性で上場企業の取締役を務めたのは唯一彼女だけだった。

「42歳で転職したことも、取締役になれたことも奇跡だと思います」。ITとの出会いが彼女の人生を光り輝かせてくれた。

現在はモッズヘアで有名な株式会社エム・エイチ・グループ代表取締役兼執行役員社長。既存事業の継続、新規事業の開拓、日中関係の融合、具体的なことは現場に任せているが、その動向を見ながら方針、環境、バランスの総指揮を行う。2019年、課題となっていた日中の技術をどう融合するかという問題に着手、中国の美容師400人ほどを日本に受け入れ、2020年、学ばせた技術を発揮させようとしていた矢先、コロナの直撃を受ける。それまでの黒字がマイナスに転落、これを必ず取り戻すと覚悟を決め、軌道修正に乗り出す。

かつてのシーボンでの経験を生かし、製品開発やリニューアルを進め、中国向けに販売。越境EC、ライブコマースにも挑戦し、少しずつ結果を出している。
「日本のサービス精神、日本のいいものを中国人に浸透、定着させるには、まだまだ時間がかかります」。

けれども、いち早く海外に出て、いち早くITに出会い、いつも時代の最先端を駆け抜けてきた彼女なら、コロナ禍の逆風を上手く順風へと転換し、業界に新しい風を吹き込んでくれるに違いない。

(本紙 大脇小百合)