これまで中国の伝統芸能の話題に多く触れてきたが、今回は少し角度を変えて、日本の芸能について触れたい。
3月からあるきっかけで、日本舞踊の稽古を受けさせてもらった。快く招いて頂いたのは、花柳流師範であり、大学の先輩でもある花柳基氏。着付けは祭りなどで体験したことがあったが、お稽古となると帯と共に気持ちまで引き締まる。
さぁいよいよ稽古開始、まずは挨拶からと、扇子を自分の前に置き、膝をついて師匠と目を合わせ、三本の指を床につき礼をする(扇子を自分の前に置くのは、師匠との間に一線を引く、謙虚な心を表す意味のようだ。稽古終了後も同様の手順を行う)。
中国では軽く礼をする位しか経験が無いが、日本の文化に深く根づいている「礼に始まり、礼に終わる」とは正にこの事だろう。
所作や型を指導いただく中で、普段見ていただけでは感じなかった、中国の伝統芸能との違いに気づくことがあった。
一つは着物を着ることで身体的な制限が自然とかかるので、脚を高く上げたり開いたりするような激しい動きはそもそもできないこと。
もう一つは表現の違いで、「座る」という動作一つをとっても、京劇で孫悟空が豪快に床に座る動作があるとすれば、日本舞踊では身体の中心軸をぶらさずに静かにひざをつきながら美しくしゃがむなど、表現が異なる。またそれらの美しい身なり、所作は演舞時や稽古以外でも、稽古場に入った瞬間から自然と始まっている。
中国の伝統芸能に長く携わってきた私には、日本舞踊の表現に曖昧さを感じる部分があるが、そもそも、その曖昧さや繊細さこそが、日本人の感性や美徳、精神にも息づいているのではないか。
芸術面以外でも、日本舞踊は体力などに関わらず、老若男女誰でもいつからでも始められる庶民にとって身近な芸能であり、ましてや礼儀作法も学べるというものだから、間違いなく日本の貴重な伝統芸能である。貴重な稽古から学んだことを自分の今後の芸能道に生かしていきたい。
文◎王文強(おう・ぶんきょう 変面役者)