数年来、旅したい候補の一つに泉州があった。
泉州はかつて海上シルクロードの起点として発展し、当時海上貿易を担っていた中東の人々が集まり、行き交い、各地へと広がっていく玄関口であった。元代にはマルコポーロを始めとした著名人によりザイトンとして世界にその名が広まったが、泉州に数多く植わっていたデイゴ(刺桐)が由来であるという。
泉州古城内は街の中心に位置し、唐代から続く仏教寺院である開元寺、イスラム教寺院の清浄寺、海の守り神である媽祖(天后宮)や関帝廟などの他、開元寺の参道となる西街では右に左に“小吃”と呼ばれるおやつ的食べ物の店が立ち並び、食べ歩きも楽しめる。
何はなくとも街全体がエキゾチックで、重厚な建物と南方的な屋根付きの歩道やコントラストの強い雰囲気でどこを歩いていても異邦人になった気分を味わえた。
以前テレビで見た蟳埔村にも足を運んでみる。
蟳埔村は泉州中心部からバスで1時間ほどの小さな漁村で、かつては商船の出発地であったという。村の家の壁は戻ってくる商船に重量調整のために積まれていた牡蠣の殻で作られ、シルクロード貿易の証でもある。“簪花囲”と呼ばれる女性の髪型も特徴で、長い髪を一つにまとめ上げ、造花で飾る。テレビの取材を受けた簪花囲姿の女性が、収穫した牡蠣を背負いながら「自分には中東の血が混じっている」と話す姿が印象的だったのを覚えている。
テレビで見た村は寒村といった感じだったが、足を踏み入れて驚いた。簪花囲がブームになっていて、あちこちに簪花囲と衣装をレンタルできる店があり、女性だけでなく男性までもがコスプレして街中で写真を撮っている。イメージは一変し、非常に賑やかで華やかだった。その中で、村の女性たちはこの日も船を出して牡蠣を捕り、店先で一つ一つ殻を剥く。
その華やかさと実直さのコントラスト、そして泉州古城での中国と異国の交わりという異なる要素の対比と融合が印象深い旅となった。
(茂木美保子@上海)
*本連載は今回で終了となります。ご愛読いただきましてありがとうございました。