亜細亜中華街紀行 ―第6回 長崎後編― 中国文化が色濃く残る「孔子廟」と「崇福寺」

街を歩けば、至るところで濃密な中国文化の影響を感じることができる長崎。前回は新地中華街と、隣接する唐人屋敷跡を紹介したが、今回は長い歴史を有する2つの寺院と名物グルメの「ちゃんぽん」に焦点を当ててみたい。

中華街と比べれば訪れる人は少ないが、静寂のなかで昔日の殷賑に思いを馳せるのは至福のひとときである。まずは中華街の南に立つ朱雀門から旅を再開しよう。

ちゃんぽんは福建料理がルーツ

朱雀門を出ると、目の前に広がっているのが湊公園だ。現在は中国風の東屋がある憩いの場となっているが、元々は長崎港に続く河口で、中国からの貿易品が次々と荷揚げされていたのである。

中華街がある場所は、かつてこれらの荷物を保管するための倉庫街だった。その後、役目を終えた河口は埋め立てられ、1957年に公園として整備された。中国の旧正月に合わせて開催される一大イベント「長崎ランタンフェスティバル」のメイン会場となっており、冬の夜空が無数の灯火に彩られる光景は幻想的だ。

かつては河口だった湊公園

市電の新地中華街の停留所に戻り、このあとは孔子廟と崇福寺を訪れる予定だが、前者は5系統、後者は1系統の終点。どちらに行こうか迷っているうち、5系統の石橋行きが到着したので、先に孔子廟へ向かうことにした。

石橋のひとつ手前が大浦天主堂で、たくさんの観光客とともに筆者も途中下車した。長崎が誇る2つの世界遺産、大浦天主堂とグラバー園が目的ではなく、名物のちゃんぽんで腹ごしらえをするためだ。

停留所から近い「四海楼」は、ちゃんぽん発祥の店である。1892年、日本で一旗揚げようとの野心を胸に、福建省福州から海を渡った陳平順は、7年後に「四海楼」を開き、福建料理の「湯肉絲麺」をアレンジして「ちゃんぽん」を考案した。この間、日清戦争が勃発したこともあり、陳の苦労は並大抵ではなかったようだ。

当時の長崎には多くの中国人留学生がおり、「彼らに安くてボリュームのあるものを」という思いやりから生まれた一品でもあった。それゆえ、ちゃんぽんが大人気になった頃、娘の清姫が特許を申請しようと進言したところ、平順は「たくさんの人に喜んでもらえればそれでいい」と聞く耳を持たなかったという。ちなみに、もうひとつの長崎名物「皿うどん」も平順がちゃんぽんをベースに創作したものだ。

こうしたストーリーは「四海楼」ビルの1階にある無料の資料室で知ることができる。海を見渡す絶好のロケーションで味わう「元祖」の味は格別であった。

元祖ちゃんぽん

食後は近くにある「長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館」に立ち寄った。石造り3階建ての重厚な建物は、建築界の異才と称された下田菊太郎の作品。現在は孫文と、彼の革命を支援し続けた長崎出身の実業家・梅屋庄吉、そして華僑に関するミュージアムとなっている。

古くから長崎と上海は定期航路で結ばれ、日本の近代化において重要な役割を果たしてきた。いかに長崎が多様な華僑文化を吸収してきたか、充実した展示を見学すれば、いっそう理解が深まるはずだ。

記念館を出ると、通りを挟んで松ヶ枝国際ターミナルの前に、孫文と梅屋庄吉・トク夫妻の像が建っている。2011年に中国政府から寄贈されたとのこと。

孫文と梅屋庄吉の足跡を学べる記念館
孫文と梅屋夫妻の像

ターミナルには巨大なクルーズ船が停泊しており、それは中国の船だった。かつて貿易船が行き交った航路は、いまは大量の観光客を運ぶルートになっているのだ。残念ながら、かつて存在した上海へのフェリー定期便は廃止されて久しいが、ぜひ復活してほしいと思う。

孔子の聖地と国宝擁する名刹

あちこち寄り道したが、石橋停留所から3分ほど歩き、エキゾチックな洋館が集まるエリアのなかで異彩を放つ孔子廟へ。1893年、清朝政府と華僑によって建立されたのがルーツで、その後、幾多の変遷を経て、1982年に現在の中国色あふれる姿になった。

瑠璃瓦、石畳、赤レンガなどの資材は、すべて中国から取り寄せたもの。儀門をくぐると、そこはまさに壮麗な異世界であり、国内で最も本場の中国様式がみられる建造物といわれている。

壮麗な孔子廟

建設に際しては、中国政府と孔子の出身地である山東省曲阜市の全面協力があったそうだが、かつて訪れたことがある「聖地」曲阜の思い出がよみがえった。

圧巻なのは、儀門から正殿へ向かう途中にズラリと並んだ「七十二賢人」の像だ。大理石を使って北京で制作された本格的な彫刻作品で、西安の兵馬俑のように、ひとつとして同じ顔はない。重さは1体約1.5㌧もあるという。

さまざまな表情をみせる「七十二賢人」

正殿の奥に建てられた中国歴代博物館。孔子廟だけではなく、こちらも凄い。北京の故宮博物館から提供された国宝級の文物が公開されており、これほど貴重な展示物を日本で鑑賞できるのは、おそらくこの博物館だけだろう。正殿を参拝して引き返してしまう人もいるようだが、絶対にお見逃しなく。

翌日は再び市電に揺られ、崇福寺を目指した。崇福寺停留所から少し離れており、市街地をしばらく歩いていると、堂々たる三門が視界に飛び込んできた。中国テイストあふれる意匠だが、意外にも中国人の指導を受けた日本人の名工がすべてを手掛けたものという。

日中合作の三門

三門から階段を上がっていくと、これまた立派な第一峰門が迎えてくれる。この先にある本堂の大雄宝殿とともに国宝に指定されているのだが、ほかにも三門など国の重文が5つもあり、崇福寺は文化財の宝庫といっても過言ではない。

その歴史は古く、1629年に福建省福州の唐僧・超然によって建てられた。中国様式の寺院では国内最古とされる。

大雄宝殿の背後に媽祖堂が建つ。船主たちにとって航海の安全は何より重要なことであり、福建同様、長崎でも海の神様である媽祖信仰は篤い。荘厳な雰囲気に包まれた境内に人影はまばらで、目を閉じ思索に耽っていると、静かに時間が流れていく。まさに至福のひとときであった。

国宝の大雄宝殿
国宝の第一峰門

今回で中華街紀行の国内編は完結であるが、見どころが尽きない長崎だけは、いつか「番外編」を組んでみたいと思う。

(内海達志)