亜細亜中華街紀行 ―第4回 横浜編― 関帝廟への強い思い 懐の深さで老若男女を魅了

日本の中華街といえば、ほとんどの人が横浜を連想するだろう。年間の訪問者数は約1900万人。いまや日本人のみならず、外国人観光客の間でも高い人気を誇り、休日には狭い通りが人であふれ返る。周辺には横浜スタジアム、山下公園、異国情緒漂う元町といった横浜を代表するスポットが点在しており、これらの相乗効果によって、いっそう活気を生み出している印象だ。
そんな賑やかな横浜中華街だが、歴史をひもとけば、さまざまなドラマがみえてくる。美食中華だけではない、奥深い魅力を探ってみた。

(内海達志)

3度も失われた関帝廟

延平門が中華街への入口だ

今年、開業60年を迎えたJR根岸線の石川町で下車すると、駅を出てすぐ西陽門が迎えてくれる。だが、ここはまだ中華街の入口ではない。首都高速の下を抜けた先にある延平門を過ぎた途端、華やかな装飾に彩られた別世界に足を踏み入れたことを実感できる。
延平門と善隣門を結ぶ西門通り。右手には中華街の沿革を紹介する、九龍壁を模した陳列窓がある。筆者は、中華街の中心へ徐々に向かっていくこのアプローチが好きなのだが、2004年に横浜高速鉄道みなとみらい線の元町・中華街駅が誕生したのち、石川町は中華街最寄り駅の座を奪われ、利用客は減少傾向にあるという。

善隣門の手前で右折し、地久門を左に入ったところに建つのが、華僑の心の拠りどころである関帝廟だ。この関帝廟、実に数奇な運命を辿っている。
1871年に華僑の寄付によって建立されたが、1923年の関東大震災で壊滅状態に。2年後に再建されたものの、今度は1945年5月の横浜大空襲で灰燼に帰してしまう。しかし、華僑の関帝廟への思いは深く、2年後に3代目が完成。ところが、1986年の元旦、謎の失火が原因で、またしても焼失してしまったのだ。

1990年8月に4代目がお目見えし、それまでの裏通りから、人通りが多い現在地(関帝廟通り)に移された。階段中央の大きな石板は、4・5㌧もある雲龍石で、北京から取り寄せたものという。いまも神聖な場所であることに変わりはないが、観光客も気軽に立ち寄れるようになり、関帝廟は中華街のシンボルとなったのである。
参拝の方法は独特で、華僑の所作を眺めていると興味深い。まず5本セットの線香と金紙の束を購入し、本殿前に並べられた5つの香炉に線香を1本ずつ立てていく。香炉には、商売繁盛、家内安全、無病息災など、それぞれ意味があるのだとか。
金紙のほうは、炎が燃え盛る焚紙炉の中に1枚ずつ投じるのだが、吸い込まれるようにみえるのが不思議だった。金紙を燃やすのは、道教の習慣とのこと。2000円もする金紙の束を大量に買う人もおり、彼らの信仰心の篤さが伝わってきた。

熱心な参拝者が絶えない関帝廟 5つの香炉には異なるご利益があるという

隣接する横濱中華學院の新築・移設工事の際、約130年前のものとみられる関帝廟と中華会館の遺構の一部が出土した。それぞれ「中」「華」「會」「館」と彫られた石や巨大な石柱などで、関帝廟から左に入った中山路に展示されている。

善隣門の先にメインストリートが延びている 出土品の展示コーナーもある

パンダブームを機に発展

関帝廟が建てられた頃、現在のような飲食店が軒を連ねる中華街の姿はなかった。ペリーの黒船来航を受け、1859年に横浜が開港されたのち、主に広東省から多くの中国人がやって来て商売を始めたが、中華料理を生業とする店はごくわずか。ただ、終戦直後のあらゆる物資が窮乏していた時期にも、戦勝国であった中国からは豊富な食材が届いたため、中華街だけは食糧難と無縁だったという。
一大転機となったのが、1972年の日中国交正常化だ。日本中がパンダブームに沸くなか、グルメの街として注目を集め、一気に飲食店が増えたのである。
ちなみに、中華街という呼称が定着したのは、1955年に建てられた善隣門に、中華街の文字が出現したのがきっかけとされる。それまで華僑は「唐人街」、日本人は「南京街」と呼ぶのが一般的だった。
広東出身者が多い背景から、いまも広東料理が主流である。筆者が昼食に選んだのは、路地裏にある1945年創業の名店の名物「豚足そば」。店内に飛び交う中国語が心地よく、しばし広州の店にいるような気分を味わえた。

名物の「豚足そば」

食後は市場通りを散策し、メインストリートの中華街大通りへ。市場などないのに市場通りと名付けられているのは、昔、朝市が開かれていたことに因む。

市場通りには専用の門が設けられている 裏通りには生活者の静かな日常空間も

多くの老舗が頑張っている一方で、新しい文化も生まれている。インスタ映えするパンダ饅頭を扱う店の前には、若者の大行列ができていた。
そして、久しぶりに歩いてみて驚かされたのが、占いの店舗の急増ぶりだ。何度も中華街を訪れているが、占いのイメージはまったくない。中華街自体、風水に基づいて区画されたパワースポットではあるのだが、コロナ禍で苦境に立たされた苦い教訓から、グルメ以外の話題もつくり、少しでも若者を集めたいとの思いがあったのだろう。
西の延平門からスタートし、横濱媽祖廟の近くにある南の朱雀門、山下公園に近い東の朝陽門と巡り、最後は北の玄武門を出て関内駅へ向かった。玄武門の目の前には横浜スタジアムがある。
横浜DeNAベイスターズは今年、シーズン3位からの下剋上で26年ぶりの日本一に輝いたので、たくさんのベイファンが中華街へ繰り出し、祝杯を挙げたに違いない。人気店には有名人のサインや写真がズラリと飾られているが、ベイスターズの選手が目立つのは土地柄といえるだろう。

海の守り神を奉る横濱媽祖廟

関東大震災、第二次世界大戦、コロナ禍など、数々の苦難を乗り越えてきた中華街には、国籍を超えた連帯の精神が根付いている。伝統の味もパンダ饅頭も占いも、同胞も日本人も外国人も、すべてを受け入れる寛容さ――。それが横浜中華街ならではのアイデンティティーという気がする。

こんなディスプレイがあるのも中華街ならでは