めざましい経済成長の勢いそのままに、間断ないスクラップ&ビルドによって、機能的かつ先進的な街づくりを進めてきた中国。その結果、昔の映画に登場するような、味わい深い風景に接することは難しくなってしまった。しかし、アジア各地に点在する中華街を訪れれば、時代の変化を感じさせないレトロな空間が優しく旅人を迎えてくれる。
タイ・バンコクを皮切りに、日本を含めたアジアの中華街の奥深い魅力を、不定期シリーズで伝えていきたい。
(内海達志)
ディープな「旅社」
バンコクの中華街散策は、タイ国鉄のファランポーン駅からスタートしよう。1897年に開業した駅舎は、ドイツのフランクフルト駅を模した優美な名建築で、天井が高く開放的なエントランス、櫛形の頭端式ホームなど、随所にヨーロッパの香りが漂っている。
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中華街に近いファランポーン駅。昔日の賑わいはない
朝8時に大音響の国歌が流れると、全員が一斉に起立して国王に敬意を表する光景は圧巻だ。2021年12月に新ターミナルのクルンテープ・アピワット駅がオープンし、現在は普通列車専用の駅に格下げされてしまったが、いまなお多くの人に愛されている。
駅から中華街までは歩いて数分と近い。一応、最も賑やかなヤワラート通りの周辺を中華街と定義したが、実際は駅を出てすぐ漢字表記の世界が広がっており、中華圏の範囲はかなりの面積に及ぶ。バンコクの他のエリアとは明らかに違った雰囲気を醸し出している「異境」といえる。
筆者はこれまで15回くらいタイを訪れているが、バンコクでの滞在は、毎回、中華街に足が向いてしまう。漢字があふれ、中国語も飛び交う中華街は、中国での生活経験がある筆者にとって、安らぎを覚える場所だからだ。
旅の予算が乏しかった若い頃は、駅裏にある「旅社」を常宿としていた。ホテルを意味する中国語は「(大)飯店」「(大)酒店」「賓館」などいくつかあるが、「旅社」はその下のランクである。薄暗い玄関の奥に、中国系の老人がいつも暇そうに座っており、泊まりたい旨を中国語で告げると、やけに重い南京錠を手渡される。
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「旅社」を体験できるのも中華街ならでは。静かな時間が流れる
古さは覆い隠せないものの、階段も廊下も窓も広い。昔はそれなりに立派な建物だったのだろう。部屋のドアを開けると、きしむ木製のベッドと狭いシャワー。天井でカラカラと回るファンの風だけでは、真夏の暑さをしのぐには厳しく、水しか出ないシャワーが心地よかった。
最近は「大酒店」にランクアップしたのだが、コロナの直前、懐かしくなり久々に泊ってみた。昔のまま何ひとつ変わっておらず、ここだけ時が止まっているかのような感覚だった。
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駅は目の前だが喧騒とは無縁の世界だ
ちなみに、中国では外国人の安全を守る目的もあり、「旅社」に宿泊することはできない。その点でも、中華街でしか味わえない貴重な体験だと思う。
駅のそばを通る細い運河を渡り、大通りをひたすら直進すると、6本の道路が集まる「7月22日ロータリー」にぶつかる。7月22日は、国王ラーマ6世が1917年に第一次世界大戦への参戦を表明した日に因む。
このあたりは中国系の安宿が残っており、かつては谷恒夫の小説にもなった「楽宮旅社」のような「魔窟」も存在していた。そこでは麻薬や娼婦に溺れる日本人(が最も多かった)の若者が、退廃的な日々を送っていた。
その「楽宮旅社」の下に「北京飯店スワニー」と書かれた看板を掲げた大衆食堂があり、彼らの溜まり場となっていた。スワニーとは名物女性店主の名前だ。
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中国の最高級ホテルと同名の「北京飯店」
「楽宮旅社」は1995年頃、「北京飯店」は2012年に閉鎖されたが、いまも跡地を確認しにくる日本人が少なからずいる。善悪、清濁が混在しながら、穏やかに変わらぬ日常が繰り返されていく――そこもまた中華街の魅力といえるだろう。
個性豊かな仏教寺院
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寺院は中国系の人たちによって支えられている
タイに暮らす華人の約8割が広東省の潮州出身といわれており、中華街も潮州の文化が深く浸透している。中華街の成り立ちを説明すると紙数が尽きるので割愛するが、アユタヤ王朝を陥落させたビルマ軍を撃破し、1768年にトンブリー王朝を興したタークシン王も、父親が潮州出身の華僑であった。
中華街には、彼らが寄進して建てた数々の仏教寺院があり、信者の心の拠りどころとなっている。1871年に創建された、バンコク最古の仏教寺院であるワット・マンコーン・カマラワートはその代表格といえよう。
中国名は龍蓮寺。タイ国内には「龍」を冠した三大寺院があり、今年は干支ということもあって、いっそうの運気アップが期待されているようだ。バンコクの中華街に設けられた地下鉄ブルーラインの駅名がワット・マンコーンであることからも、この寺の格式の高さが分かる。
チャンクルーン通りにある入口から、真っ赤な壁に沿って進んでいくと、正面に豪華な本堂があり、黄金の釈迦如来像が鎮座している。参拝者はやはり中国系の人が多い。
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荘厳な雰囲気のなか、熱心に祈りを捧げる中国系の参拝者
本堂の一角に米を山積みにしたスペースがある。参拝者は次々とこれを購入しているが、売り上げに協力するだけではなく、米もそのまま寄付するのだ。もちろん、米のほか線香も買い、あちこちに設置された浄財の箱に紙幣をどんどん投じる。
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袋に入っているのは米。飛ぶように売れていく
伝統的なワット・マンコーン・カマラワートとは対照的に、ワット・チャヤブーム・カラム(中国名・翠岸寺)は、ビルの屋上にあるユニークな新時代の寺院だ。ヤワラート通りから小路に入った分かりにくい場所にあり、観光客の姿はまずない。
このビルを訪れる人の目的は、ほとんどが立体駐車場。寺院が副業といった感じだが、エレベーターで7階へ移動すると、凛とした空気に変わり、金色に輝く仏像が柔和な表情を浮かべていた。窓越しに望む中華街の眺めも、この寺ならではの楽しみである。
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ビル屋上の寺院。下が駐車場とは思えない
迷路のように路地が入り組む中華街では、適当に歩いているうち行き止まりになり、そこに小さな寺院があるということも珍しくない。街の隅々にまで信仰が根付いている証しだろう。
次回は市場や「タイ中華(めし)」などにスポットを当てたい。