今年の干支は「辰」(龍)。十二支のなかで唯一、伝説上の生物である龍は、中国では皇帝の象徴でもあり、単に吉祥だけではない特別な意味を持つ。極寒のハルビンで開催される「氷祭り」が有名な黒龍江省、銘茶の産地として知られる浙江省の龍井(ロンジン)、ブルース・リーが育った香港の九龍(クーロン)など、中国には「龍」の字を用いた地名が少なくない。今回は筆者の思い出に残る「龍の旅」へご案内しよう。
(内海達志)
九龍壁と龍門石窟
まずは首都・北京。歴代の皇帝が居住した紫禁城(故宮)に足を踏み入れると、見事な「九龍壁」が迎えてくれる。明・清代に数多く作られた「九龍壁」は、格式ある建物の正門近くに配された目隠し的な役割を担うもので、現存するのは、紫禁城のほか、北海公園(北京)と大同(山西省)しかない。
紫禁城のものは、乾隆帝の1772年に建造された。長さ29・4㍍、高さ3・5㍍。9匹の龍の中でも、中央で躍動する黄龍がひときわ目立つ。

北京の紫禁城にある「九龍壁」
この「九龍壁」をスケールで凌駕するのが、大同のものだ。訪れたのはもう25年以上前だが、紫禁城とは対照的に、こちらはごくふつうの市街地にあって、「こんな場所に、これほど貴重な文化財があるのか」と驚いたのを思い出す。
長さ45・5㍍、高さ8㍍。完成したのが明代の1392年で、規模だけではなく、その歴史も古い。3つの「九龍壁」のなかで最大・最古であり、国が制定した文化遺産保護制度のうち、最高級の「全国重点文物保護単位」に指定されている。
朱元璋の13番目の息子である朱桂邸に建てられたもので、その後、兵火により邸宅は消失。「九龍壁」だけが残り、このような形になったのである。大同という地方都市に存在するのは、ここが失権した朱桂が改封を命じられた地だからだ。いまは周囲にビルが建ち並んでいるのだろうか。

山西省の大同にも歴史ある「九龍壁」が残っている
このほか、北海公園のものは、壁の両面が「九龍壁」となっているのが特徴で、美しさも備えた「十八龍」は迫力満点である。
「九龍壁」は宮廷、市街地、公園とロケーションが三者三様で味わい深い。
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河南省洛陽市郊外の龍門石窟は、黄河の支流、伊河沿いの断崖に、大小10万体もの仏像が並ぶ。その距離は約1㌔。北魏時代の471年に開削が始まり、実に400年以上の歳月を費やし完成をみた。実際に歩いてみると、よく彫り続けたものだと先人の信仰心に敬服するほかない。幸い人が少なかったので、心穏やかに歴史のロマンを感じることができた。

圧巻の龍門石窟
ここも訪れたのは25年以上前だが、当時は町はずれに龍門駅があった。観光客すら利用しないローカル線の小さな駅で、石窟の壮大なスケールとともに、この駅の時間が止まったかのような静けさが印象に残っている。

世界遺産に近かった龍門駅
2010年に高速鉄道の洛陽龍門駅が開業し、車で10分とアクセスが便利になった。とうの昔に龍門駅は廃止され、石窟周辺も賑やかになっているに違いない。
パンダと福建土楼
日本人が大好きなパンダ。四川省、なかでも臥龍地区は、東京都約4個分の広大なエリアに、全国のパンダの3割以上が生息しているといわれる。
10年ほど前の冬、都江堰(中国初の水利・灌漑施設で世界文化遺産)のバスターミナルから臥龍のパンダ保護センターを目指したことがあった。山間の悪路をノロノロと走るバスは、途中、落石や事故車に進路を阻まれ、行程の半分にも達しないうちに、辺りは漆黒の闇に。どうにか立ち往生は避けられたものの、大幅に遅れたため、その日にパンダを見学することは叶わず、バスの終点にある一軒宿(運転手の宿泊用)にお願いして部屋を提供してもらった。
翌日、念願のパンダとの対面は感動的であった。パンダとの距離が近いうえ、たくさんのパンダを飽きるくらい眺められるのだ。有料オプションで子パンダを抱くこともできるのだが、想像以上の爪の鋭さは、さすが「熊猫」であった。

苦労して訪れた臥龍パンダ保護センターのチケット
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最後は福建省の龍岩。これも25年以上前、福州から寝台列車で向かった。朝、目覚めると、列車の律動がどこか違う。車窓に目をやると、なんと濛々と白煙を吐く蒸気機関車の姿がみえるではないか。深夜に機関車の付け替えがあったようだが、当時でも旅客列車を牽引するケースは極めて珍しかった。

毛沢東の肖像が掲げられたSL列車

いまは立派な駅舎になった龍岩駅
龍岩は土楼観光の拠点で、タクシーをチャーターし、独特の建造物を巡った。円形の堅牢な土楼は、この地に逃れてきた客家の人々にとって、要塞の機能も有する住居である。思いがけずSLを体験できたこともあり、ひと昔前の世界へタイムスリップしたような感覚になった。

福建土楼。客家の人々が静かに暮らす
その後、土楼が集まる永定地区まで鉄道が延び、龍岩駅からは上海へ直通する高速列車も登場した。隔世の感を禁じ得ない。
ここで紹介した、紫禁城、北海公園、龍門石窟、臥龍パンダ保護区、福建土楼はいずれもユネスコ世界遺産に登録されている。中国の世界遺産と「龍」は相性がいいようだ。