
広成子(こうせいし)は九仙山桃源洞(きゅうせんざんとうげんどう)の洞主で、闡教十二大仙の一人である。以前に殷郊を紹介した際に名前が出てきたのを覚えている方もおられるだろう。
そこで紹介したように、妲己に命を狙われた殷郊と弟の殷洪を助けたのが広成子と赤精子であり、広成子は殷郊を赤精子は殷洪を弟子とした。殷郊は修行を経て周を助けるために下山する際、広成子から番天印・落魂鐘・雌雄剣の宝器をあたえられ、さらに商に寝返り裏切った時は犂鋤の厄を受けると約束する。しかし、最終的に周を裏切った殷郊は、広成子の手により命を落とす。物語において広成子と殷郊のように師弟関係にある仙道は多く登場するが、師弟が対立し互いに戦うことは、物語でも数少ない場面の一つであろう。
他にも十天君との戦いでは金光聖母(きんこうせいぼ)の金光陣を破り、誅仙陣・万仙陣でも陣を破るために赤精子などと共に活躍する。もっとも、広成子が火霊聖母を倒した際に遺品の金霞冠を截教の通天教主が住む碧遊宮まで届けに行ったために、截教の多くの仙人の怒りを買い、誅仙陣で攻められるきっかけにもなっている。
また歴史的には『神仙伝』や『荘子』に広成子の名前が見られる。『神仙伝』全十巻は東晋の葛洪(かつこう)の手による書物で、九十二名の仙人の事績が記される。その第一巻の一人目に登場するのが広成子である。内容は次の通りである。広成子は古代の仙人で、崆峒山(こうどうざん)の石室に住んでいた。ある日、黄帝(こうてい)が道の要旨について尋ねると、広成子は「お前が天下を治めるようになってから鳥類はその季節にもならないのに飛びたち、草木は黄葉しないまえに散るようになった。至上の道など、とても教えられない」と言って断った。そこで黄帝は三ヶ月間閑居して再び教えを請うと、広成子はこれに答えたという。古代伝説上の君主である黄帝が教えを請うている事からも、広成子の格の高さがうかがえる。また、広成子と黄帝の問答は『荘子』在宥篇の一節を要約したものであるという。
『神仙伝』では広成子に続いて老子の伝が記される。そこでは老子は時代時代で生まれ変わり、黄帝の時代は広成子であったと述べられる。これも古代から広成子が仙人として広く知られていた証左のひとつであろう。
文 ◎ 二ノ宮 聡
1982年生まれ。中国文学研究者。中国の民間信仰研究。関西大学大学院文学研究科中国文学専修博士課程後期課程修了。博士(文学)。北陸大学講師。
絵 ◎ 洪 昭侯
1967年、中国北京生まれ。東京学芸大学教育学部絵画課程卒業。(株)中文産業のデザイナーを経て、2014年、東方文化国際合同会社設立。