太乙真人(たいいつしんじん)は乾元山金光洞(けんげんさんきんこうどう)の洞主であり、闡教十二大仙の一人でもある。九龍神火罩(きゅうりゅうしんかとう)という宝器を持つ。この説明よりも、哪吒(なた)の師と言うほうが伝わるかもしれない。
太乙真人は、姜子牙が山を下る前に先行官として霊珠子(れいじゅし)を下山させる。この霊珠子こそが哪吒であり、母親である殷夫人の胎内をかりて人間界に顕現した。その際、太乙真人は殷夫人の夢枕に立ち麒麟児を託すと言い、半ば強引に殷夫人の腹の中にある物を押し込む。それが霊珠子であり、哪吒である。哪吒は生まれながらに乾坤圏と混天綾の二つの宝器を持ち、後に火尖槍と風火二輪を授けられるが、いずれも太乙真人から与えられたものである。また、石磯娘娘に追われる哪吒を助けたり、李靖との親子喧嘩を仲裁するなど、弟子の面倒見が良い。こうした師弟の関係が描かれるのは物語一多いかもしれない。十天君との戦いでは、九龍神火罩から放たれる九匹の龍で孫天君の化血陣を破り、誅仙陣や万仙陣でも戦いに参加している。
物語では、闡教の仙道は体内の三尸(さんし)の虫を切っていないため、一五〇〇年に一度の殺戒を犯し戦に参加しなければならいという宿命がある。そのため仙道は崑崙山を下り周軍に加勢したのである。その中で、最初に戒を犯したのが太乙真人である。哪吒は誤って石磯娘娘の弟子を殺してしまう。それに怒った娘娘は哪吒を追い駆け仇を取ろうとする。そこに太乙真人が助けにあらわれ、石磯娘娘に向かい殺戒を犯す理由を蕩々と述べ、九龍神火罩で石磯娘娘を殺す。
殺戒を犯した後、普通であれば「望まぬ殺生をした」と言ったり、後悔などの感情が描かれるが、物語では「全ては天数に定められたこと」として片付けられてしまう。天数の定めは物語全体に見られる。また物語の内容に一貫性がない箇所が多々見られるが、これらも天数で片付けられている場合があり、『封神演義』のご都合主義的な側面が見て取れる。
民間信仰では、太乙救苦天尊が祀られるのをよく見かけ、太乙真人と混同される事もあるが、両者は全く関係がない。太乙救苦天尊は東極青華大帝であり、玉皇大帝の侍者とされる。
このように太乙真人は物語序盤から登場し、闡教の仙道が殺戒を犯す理由を説明するなど、物語が序盤から本編に移る際の重要人物の一人である。物語を動かす役割を担った登場人物に注目してみるのも楽しみの一つかもしれない。
文 ◎ 二ノ宮 聡
1982年生まれ。中国文学研究者。中国の民間信仰研究。関西大学大学院文学研究科中国文学専修博士課程後期課程修了。博士(文学)。北陸大学講師。
絵 ◎ 洪 昭侯
1967年、中国北京生まれ。東京学芸大学教育学部絵画課程卒業。(株)中文産業のデザイナーを経て、2014年、東方文化国際合同会社設立。