文殊広法天尊(もんじゅこうほうてんそん)は、その名前から分かるように、仏教の文殊菩薩である。先回の普賢真人と同様に後に釈門に身を寄せたとされる。
文殊菩薩は、釈迦如来の脇侍として左側に侍す。右側には普賢菩薩が侍し、三尊をなす。普賢菩薩が悟りの実践的側面を象徴するのに対して、文殊菩薩は知性的側面を象徴し、智慧の菩薩と見なされるようになる。「三人寄れば文殊の知恵」は誰もが知ることわざであろう。
その姿は右手に知剣、左手に青蓮華(しょうれんげ)を持つのが一般的であるが、ほかにも違う持ち物や像形をしていることもある。また、獅子に乗った姿も見られる。『華厳経』で文殊菩薩は東方清涼山に住むとされることから、中国では山西省五台山の清涼寺、日本では奈良の葛城山が霊地にあてられる。
『封神演義』での文殊広法天尊は、十二大仙の一人であり、五龍山雲霄洞(ごりゅうさん うんしょうどう)に住む。また金吒(きんた)の師である。最初の登場は第十四回、これは以前に紹介した哪吒(なた)と李靖(りせい)の親子喧嘩を仲裁するために登場し、暴れる哪吒を宝器遁龍椿(とんりゅうちん)で捕らえ、懲らしめる。また九龍島の四聖が西岐を攻めた際には、金吒と共に四聖の一人王魔(おうま)と戦い、遁龍椿で捕らえ金吒が一太刀で斬り伏せる。
十天君との戦いでは、他の十二大仙と共に西岐に助力し、秦天君の天絶陣を破っている。このほか、殷洪に加担する馬元との戦いでは、馬元を捕らえ斬り倒そうとした所を準提道人に引き止められ、そのまま引き渡す。さらに万仙陣では盤古旛(ばんこはん)を用い虬首仙(きゅうしゅせん)を破り捕らえる。そして虬首仙は元の姿の青毛獅子となり、文殊広法天尊の騎獣となる。
物語において文殊広法天尊が登場する場面では、仏教との関連を示す描写がたびたび見られる。例えば、遁龍椿は仏教では七宝金蓮(しちほうきんれん)と呼ばれる、と一言加えられていたり、馬元と準提道人、さらに虬首仙などの話はいずれも仏教が強く意識されている。これは普賢真人と同じく最後に釈門に帰すことを明示しているのだろう。この影響は現在でも見られ、現在の道教の道観で文殊広法天尊を祀る際、「文殊広法天尊は後に仏門に帰依した」と説明に書き加えられている場合がある。これは『封神演義』がその後の民間信仰に強い影響をあたえた一例でもある。
文 ◎ 二ノ宮 聡
1982年生まれ。中国文学研究者。中国の民間信仰研究。関西大学大学院文学研究科中国文学専修博士課程後期課程修了。博士(文学)。北陸大学講師。
絵 ◎ 洪 昭侯
1967年、中国北京生まれ。東京学芸大学教育学部絵画課程卒業。(株)中文産業のデザイナーを経て、2014年、東方文化国際合同会社設立。