運命を狂わされた太子・殷洪

2024年7月1日号 /

前号(二〇二四年六月号)で「姜皇后には二人の息子がおり、長男が殷郊である」と紹介した。そして今回紹介するのは、次男の殷洪(いんこう)である。殷郊と殷洪は日本語ではどちらも「いんこう」と同音で読み、区別ができないが、中国語では「Yin Jiao」と「Yin Hong」となる。

殷郊と殷洪の兄弟が妲己の計略により命を狙われるも、すんでの所で闡教の広成子と赤精子に救われたことは前回紹介した通りである。この時、殷洪を救ったのは、太華山雲霄洞(たいかざんうんしょうどう)の赤精子(せきせいし)である。つまり兄弟は別々の仙人の下で修行することになった。

殷洪が山を下りるのは、妲己の父・冀州侯蘇護(きしゅうこうそご)が勅命で西岐を攻めている時であり、兄の殷郊より少し前になる。下山に際して、師の赤精子に対して、師の命(周を裏切らないこと)を守り、違えた場合は四肢を断たれ灰になると誓いを立てる。さらに赤精子は洞府・太華山雲霄洞の宝器である紫綬仙衣(しじゅせんい)・陰陽境(いんようきょう)・水火鋒(すいかほう)を与える。

周に向かう途中、殷洪は申公豹(しんこうひょう)と出会い、これが身の破滅を導くことになる。申公豹は以前に姜子牙にやり込められた事を恨み続け、復讐の機会を常に狙っていた。そこで殷洪を利用した。申公豹は殷洪に対し「子が親を伐つとは不道徳」「殷が滅びれば社稷宗廟が破壊され祖先に顔向けできない」と言葉巧みに騙し、周に叛き殷を助けるために蘇護の下に行くことを決意させる。

蘇護の援軍となった殷洪は、洞府の宝器を使い、黄飛虎や哪吒を始め周軍の武将を次々に打ち破っていく。一方の周軍の姜子牙は殷洪の対応に苦慮していると、赤精子が下山し殷洪を説得するも殷洪は応じず、赤精子を打ち破り、周軍は窮地に追い込まれる。そこに慈航道人(じこうどうじん)が現れ、赤精子に太極図を使い殷洪と戦うよう進言する。赤精子は弟子を手にかけることを躊躇うも従うほかなく、再び殷洪と対峙する。そして殷洪に対し「師との誓いを破ったこと」「無道の紂王に助力したこと」と罪を述べ、太極図によって殷洪を倒した。

殷郊と殷洪の兄弟は、姜皇后の敵を伐つべく修行したが、申公豹に騙され最後は商王朝の太子としての責任を果たすために命を落とすことになる。その純粋すぎる心のために、故国を憎みきれず利用されてしまったのか、はたまた自分の意思であったのか。

 

 

文◎二ノ宮 聡
1982年生まれ。中国文学研究者。中国の民間信仰研究。関西大学大学院文学研究科中国文学専修博士課程後期課程修了。博士(文学)。北陸大学講師。

絵◎洪 昭侯
1967年、中国北京生まれ。東京学芸大学教育学部絵画課程卒業。(株)中文産業のデザイナーを経て、2014年、東方文化国際合同会社設立。