商王朝の王太子・殷郊

2024年6月1日号 /

紂王には姜皇后、楊貴妃、黄貴妃の三夫人がおり、後に妲己や胡喜媚を迎え入れる。そして第一夫人たる姜皇后には二人の息子がいて、長男つまり商の王太子が殷郊(いんこう)である。民間信仰では太歳殷元帥(たいさいいんげんすい)として祀られる。

中国の民間信仰では太歳、太歳元帥、太歳神などとも呼ばれる。元帥神とは戦いの神である。殷元帥を単独で祀る廟はあまり見られない。中国の天文学では、木星(歳星)とは逆に運行する架空の天体として太歳をつくり、地を行くものとされた。そのため太歳は土に埋まっており、そこを掘り起こすと人々に恐ろしい祟りをもたらすと考えられ、恐れられた。例えば『太平広記』には、太歳の祟りを信じず掘り起こしたために使用人を含め一族が滅亡した家の話が記される。太歳は特定の方角にあるのではなく、家ごとに異なる方角に埋まっているという。現在でも春節に道観を訪れるとその年の太歳の方角に祈る「拝太歳」(厄除け)の儀礼が盛んにおこなわれている。

この太歳を人格化したものが太歳殷元帥である。『捜神大全』の太歳の記述は『封神演義』のベースとなった『武王伐紂平話』と同じである。つまり太歳が殷郊とされる。その姿は三頭六臂に青い顔、首には多くの髑髏を下げ、金の鐘を持つという。

『封神演義』では、序盤に姜皇后が妲己に陥れられ酷刑で命を落とすと、二人の息子は黄飛虎たちの機転により晁田、晁雷の二将軍に伴われ王宮から脱出する。途中追っ手に追いつかれるも闡教の赤精子と広成子に助けられた。この時、殷郊は十四歳、弟の殷洪は十二歳であった。

そして次に殷郊が登場するのは、十天君を打ち破り、武王が東征に出て、諸侯と孟津で盟会し紂王を討とうとしている時であった。闡教の仙人の下で修行を積み日々を過ごしていた殷郊であるが、ある日、広成子に呼ばれ周を助けに行くよう命じられる。さらに父の紂王に味方し、裏切ることがないよう強く約束させられる。もともと殷郊は母の姜皇后を妲己に殺された恨みを忘れておらず、商に寝返り裏切った時は犂鋤の厄を受けると師と約束を交わした。さらに三面六臂の体、番天印・落魂鐘・雌雄剣を与えられ山を下りる。

しかし、西岐に向かう途中に姜子牙の兄弟弟子で姜子牙を恨む申公豹(しんこうひょう)に出会い、言葉巧みに騙され、さらには弟の殷洪の死を知らされると、張山で商の西岐討伐軍に加わる。そして広成子の説得にも応じず、番天印などの宝器で周軍を苦しめるが、最後は燃灯道人の術で捕らえられ、犂鋤の厄をその身に受け命を落とす。頭では商を恨むも心には母国を憎みきれぬ想いが残っていたのであろうか。

 

 

文◎二ノ宮 聡
1982年生まれ。中国文学研究者。中国の民間信仰研究。関西大学大学院文学研究科中国文学専修博士課程後期課程修了。博士(文学)。北陸大学講師。

絵◎洪 昭侯
1967年、中国北京生まれ。東京学芸大学教育学部絵画課程卒業。(株)中文産業のデザイナーを経て、2014年、東方文化国際合同会社設立。