暴虐の天子・紂王

2023年11月1日号 /

『封神演義』は、商(殷)と周の王朝交代劇をベースとして、そこに闡教と截教の様々な仙道が登場することはこれまで紹介してきた通りである。では、何故、商は滅亡を迎えたのか、仙道が人間界に介入してきたのか。これらを「天数」と一言で片付けることもできるが、物語において、そもそもの原因を作ったのは商王朝最後の天子・紂王(ちゅうおう)自身である。

まず、『史記』殷本紀(しき、いんほんぎ)に見られる史実の紂王は、怪力の持ち主であり、知恵があり、他人を見下し、妲己を寵愛し、鹿台(ろくだい)を築き高い税を取り立てた、酒池肉林を作った、炮烙(ほうらく)の刑を作った、など多くの悪行をはたらき、最後は鹿台で火中に身を投じ死んだと記される。一方で知力ともに優れていたとの記載もある。つまり紂王は、知力を備えてはいるがもとから暴君であった。また、一般には商の前王朝とされる夏の桀王(けつおう)とともに悪徳の王の代表とされる。

『封神演義』でも史実を踏まえ、もともと優れた王であったが、妲己の入れ知恵、さらに費仲(ひちゅう)と尤渾(ゆうこん)の二人の奸臣の言葉を鵜呑みにし、臣下の心臓をえぐり出す、炮烙で焼き殺す、蠆盆(たいぼん)に突き落とし処刑するなど数々の悪行を働く残虐な王に変じたと描かれる。

では、そもそも何故、紂王はみずから破滅の道を歩むことになったのか。これは自業自得の面もある。ある日の朝議の後、宰相の商容が上古の女神で国や民を庇護する女媧娘娘(じょかにゃんにゃん)の聖誕の記念日なので、女媧宮に参拝し祈祷をささげるよう奏上すると、紂王は翌日に参拝に赴く。参拝の際、偶然にも華麗で端正な姿をした女媧の聖像が目に入り、紂王は心を奪われ淫心が起こり、臣下の制止も聞き入れず廟の壁に不敬な詩を書き付ける。この詩に気づいた女媧は怒り、妲己を筆頭とする三匹の妖怪に命じ、商から周への王朝交代を商王朝内部から手助けするよう命じた。つまり紂王は、みずから神の怒りを買う行動をして、その報いを受けただけなのである。

この出来事に端を発し、さらに闡教と截教の仙道を巻き込み物語は進んでいく。最後に紂王は周軍に追い詰められ、妲己の死を知り茫然自失となり、さらに悪行により命を落とした人々の怨魂が紂王を責める。すると紂王は摘星楼(てきせいろう。物語では鹿台ではない)に火を放つよう命じ、その中に身を投じ、商王朝は幕を下ろす。果たしてこの時、紂王に悔恨の念はあったのだろうか。

 

 

文◎二ノ宮 聡
1982年生まれ。中国文学研究者。中国の民間信仰研究。関西大学大学院文学研究科中国文学専修博士課程後期課程修了。博士(文学)。北陸大学講師。

絵◎洪 昭侯
1967年、中国北京生まれ。東京学芸大学教育学部絵画課程卒業。(株)中文産業のデザイナーを経て、2014年、東方文化国際合同会社設立。