古代中国の多様な思想家たちは諸子百家と呼ばれ、そのうち老子や荘子などが道家(どうか)とされた。道家はその後、神仙説、さらに五斗米道や太平道なども巻き込みながら範囲を拡大していく。そして六朝時代後半に儒仏を「儒教」「仏教」と呼称するのが一般化するのと連動して、この拡大した「道家」が「道教」とも呼ばれるようになってゆく。『三国志』で張角が率いる太平道が後に黄巾の乱へと繋がるが、道教といえばこの印象が強い方も多いのではないだろうか。
老子と荘子の思想は「道」であり、この道の思想が道教の基本理念となる。ゆえに老子は道教の祖と言われ、老子を神格化したものが太上老君(たいじょうろうくん)であり、道教の最高神の一人とされる。太上老君は道徳天尊(どうとくてんそん)とも称され、以前に紹介した元始天尊(げんしてんそん)と霊宝天尊(れいほうてんそん)の三神を合せて三清(さんせい)と称し、道教の最高神とされる。現在でも多くの道観で三清を祀る三清殿が見られる。
老子の教えは『道徳経』として現代まで伝えられ、「上善は水の若し(八章)」「道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず(四二章)」「知る者は言わず、言う物は知らず(五六章)」など、我々の日常生活でよく耳にする言葉も老子の言葉である。または漢文の授業で「三十の輻、一轂を共にす(十一章)」を学んだ覚えがある人もおられるだろうか。
さて、『封神演義』での老子であるが、実はほとんど登場しない。唯一とも言える登場場面は、十天君の十絶陣に挑む最中、雲霄・瓊霄・碧霄の三姉妹が操る黄河陣を破る時である。三姉妹を倒すため闡教の仙道は黄河陣に挑むが、次々に返り討ちにあい十二名もが捕らわれてしまう。この時、元始天尊だけでなく老子が降臨し、黄河陣を破り捕えられた仙道を救出する。哪吒や楊戩までもが手が出なかった三姉妹を元始天尊と老子は容易に倒してしまう。こうした部分にも元始天尊や老子の神格の高さを際立たせて描かれている事が見て取れる。
現代の我々は思想家としての老子、さらに「無為自然」など道家思想は耳にする事は多い。だが、太上老君として神格化された老子を直接目にする機会は少ないだろう。今度、中華系の寺廟を訪れる事があれば、そこに祀られる神々をよくご覧になっていただきたい。おそらく太上老君や三清も祀られているはずである。
文◎二ノ宮 聡
1982年生まれ。中国文学研究者。中国の民間信仰研究。関西大学大学院文学研究科中国文学専修博士課程後期課程修了。博士(文学)。北陸大学講師。
絵◎洪 昭侯
1967年、中国北京生まれ。東京学芸大学教育学部絵画課程卒業。(株)中文産業のデザイナーを経て、2014年、東方文化国際合同会社設立。